5分でわかる!ペルシア軍の襲来
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この動画の要点まとめ
ポイント
ポイントの1つ目は「ペルシア戦争」です。
なんと、古代オリエントで勉強した アケメネス朝ペルシア が、ギリシア世界に侵入してきます!
人数で劣るギリシア勢は、この危機をどのように乗り越えたのでしょうか...
紀元前500年に始まった ペルシア戦争 について、一緒に勉強していきましょう。
こちらを見てください。
ペルシア戦争のきっかけは、イオニア植民市の反乱!
ペルシア戦争は50年近く続いた戦争です。
その始まりは イオニア植民市の反乱 でした。
イオニア植民市の中心は、小アジアの ミレトス にありました。
こちらを見てください。
地図の中央下部にギリシアが位置しています。
その東側、海岸線沿いにあったのがイオニア植民市で、ギリシア人の一部が住んでいました。
ところが、このイオニア植民市に対して、 東側からアケメネス朝ペルシアが迫ってきたのです。
これにイオニア植民市が反発したことでペルシア戦争が始まりました。
マラトンの戦い/アテネの中小市民が重装歩兵として活躍!
紀元前490年に マラトンの戦い が起きます。
ペルシアの ダレイオス1世 が送り込んだ軍隊と、アテネの軍隊が衝突しました。
ペルシアの軍勢は何十万人であるのに対して、アテネの軍勢は5万人にも満たなかったといわれています。
人数だけを見れば、圧倒的にアテネが不利でした。
ところがこの戦い、 アテナの中小市民が重装歩兵部隊として活躍した ことで、アテネが勝利したのです!
この勝利は、アテネだけではなくギリシア全土に伝わりました。
マラトンの戦いで勝利した後、伝令役が長距離を走ってアテネにこの情報を伝えたのです。
実は、現在オリンピック種目にもなっている マラソン というスポーツの語源は、このできごとがもとになっています。
「マラトン」の英語読みが「マラソン」なのです!
サラミスの海戦/無産市民が三段櫂船の漕ぎ手として活躍!
続いて紀元前480年に サラミスの海戦 が起きます。
ペルシア艦隊と、アテネの将軍 テミストクレス 率いる軍隊が衝突した戦いです。
この戦いでは、なんと アテネの無産市民が三段櫂船(さんだんかいせん)の漕ぎ手として活躍しました。
無産市民とは、お金・財産を持たず、武器を買うことができない人たちです。
武器を買えない人たちが、船の漕ぎ手となることで活躍しました。
無産市民が活躍したことは、アテネ社会に大きな影響を与えることになります。
プラタイアの戦い/アテネ・スパルタ連合軍の勝利!
ペルシア戦争のクライマックスが、紀元前479年の プラタイアの戦い です。
この戦いで アテネとスパルタの連合軍がペルシアの軍隊を破りました。
この戦いで、事実上ギリシア勢力の勝ちが決まったのです。
ギリシア世界の3回目。
今回は「ペルシア戦争とアテネ民主政治の完成」について勉強します。