5分でわかる!拡大するローマ
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この動画の要点まとめ
ポイント
ローマがイタリア半島を統一!軍道を整備した
紀元前272年、ローマは イタリア半島の統一 に成功しました。
そして、イタリア半島の各地で 軍道を整備しました。
道がしっかりしていれば、軍隊の移動も食料の運搬も、馬車でスムーズにおこなえます。
広い領土を統治する上で、道を整備するのは非常に大切なのです。
ローマ帝国の全盛期には、世界各地からの道がローマに通じていたといわれます。
そこから「 すべての道はローマに通じる 」という言葉が生まれました。
現在でも軍道の一部は残っていて、アッピア街道がその代表例です。
ローマはイタリア半島を「分割統治」した!
軍道の整備に加え、ローマは 分割統治 を行いました。
イタリア半島内の都市を植民市・自治市・同盟市に区分したのです。
一番ひどい扱いを受けたのが同盟市、それよりましなのが自治市で、
植民市はローマと同じような扱いを受けていました。
征服した地域に格差を設ける ことで、3種類の都市を仲たがいさせ、
反ローマを掲げて一致団結することを防ごうとしたのです。
非常に巧みな作戦です。
ポエニ戦争開始!ローマvsカルタゴ
イタリア半島を統一したローマは、フェニキア人の都市 カルタゴ と争うことになります。
それが ポエニ戦争 です。
ポエニ戦争では、ローマとカルタゴは複数回にわたって衝突しました。
こちらを見てください。
1回目の衝突で、ローマはカルタゴを破り、 シチリア島 を獲得しました。
シチリア島は ローマ初の海外領土(属州)となりました。
シチリア島は 穀物がたくさん収穫できる土地だった ので、カルタゴはシチリア島奪回のため反撃に出ます。
2回目の衝突では、カルタゴの名将 ハンニバル が登場します。
ハンニバルの作戦によって、ローマは一時大ピンチに陥ります。
なんとハンニバルは アルプス山脈を越えて北イタリアに侵入したのです!
当時、大量の軍隊を送る場合は船を使うのが常識でした。
山脈を越えて軍隊が入ってくる なんて、ローマの人たちは考えもしなかったことでしょう。
予期せぬ攻撃を受け、ローマはピンチをむかえます。
しかし、ローマの危機をある 英雄 が救いました。
それが将軍 スキピオ です。
スキピオ率いるローマ軍は反撃に転じ、最終的にハンニバルを撃破することに成功しました。
イタリア半島を統一したローマは、カルタゴと戦争を行います。
これが ポエニ戦争 です。
ローマはカルタゴを破り、西地中海の覇権を獲得することになります。
さらにローマは、ポエニ戦争と並行しながら バルカン半島方面 にも進出しました。
イタリア半島の小さな都市国家でしかなかったローマが、次第に勢力を拡大していったのです。
ポイントの3つ目は「イタリア半島統一とポエニ戦争」です。
前半はローマが イタリア半島を統一 する話、後半は ポエニ戦争で勝利した 話をします。
こちらを見てください。