5分でわかる!ローマの危機!
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この動画の要点まとめ
ポイント
3世紀の危機/軍人皇帝が登場!
3世紀は、ローマにとって大ピンチの時代でした。
これを 3世紀の危機 といいます。
この時代の様子は、皇帝に注目することでもうかがい知ることが出来ます。
235年~284年の約50年間に、なんと 26人もの軍人皇帝 が登場したのです。
軍人皇帝とは 軍人出身の皇帝 のことです。
約50年間、各地の軍団が司令官を皇帝に擁立し、 武力で権力を争う状態が続きました。
国内の混乱に加えて、ローマは国外からもプレッシャーを受けます。
当時、ローマの北方からは ゲルマン人 が、東方からは ササン朝ペルシア が侵入してきたのです。
253年に即位した皇帝 ウァレリアヌス は、なんと ササン朝に敗北し、捕まってしまいました。
専制君主政(ドミナトゥス)が始まる!
内部では軍人皇帝が権力を争い、外部からは強敵が侵入してくる。
このような状態に対処するために、 専制君主政 ( ドミナトゥス )と呼ばれる政治体制がしかれました。
これから 3人の皇帝 を紹介しますので、名前と事績をしっかりおさえてくださいね。
ディオクレティアヌス帝/四帝分治制を実施
1人目は ディオクレティアヌス帝 です。
彼は 四帝分治制 ( テトラルキア )を始めました。
領土を四つに分け、それぞれに皇帝を派遣し分担統治を行う政策です。
さらに彼は 自らの権威づけのために皇帝崇拝を強制しました。
皇帝である自分を「神」であるとし、人びとに崇拝させようとしたのです。
これに反発したのが キリスト教徒 。
彼らにとって、皇帝は神ではありません。
ディオクレティアヌス帝は迫害を行いましたが、
キリスト教徒の数は一向に減りませんでした。
コンスタンティヌス帝/ミラノ勅令を発布し、キリスト教を公認
そこで登場するのが、2人目の コンスタンティヌス帝 。
彼は ミラノ勅令を発布し、キリスト教を公認しました。
迫害するのではなく、公認することで支持を得ようとしたのです。
また、彼は都を コンスタンティノープル に移しました。
都の名前は皇帝自身の名前からきています。
テオドシウス帝/キリスト教を国教化
3人目が テオドシウス帝 です。
彼は キリスト教を国教に定め、すべての異教信仰を禁じます。
宗教を統一することで、国民の仲間意識を高めることがねらいでした。
しかし、テオドシウス帝の死後の395年、 ローマ帝国は東西に分裂してしまいます。
3世紀の危機と、専制君主政を行った3人の皇帝をおさえておきましょう。
ポイントの3つ目は「ローマの危機」です。
五賢帝の時代が終わり、3世紀に入ると、ローマは 国を揺るがす危機的な状況に直面します。
いったいどんな「危機」だったのか?
その危機にローマ皇帝はどのように対処したのか?
一緒に見ていきましょう。