高校世界史B
5分でわかる!キリスト教は前途多難の歴史!
- ポイント
- ポイント
- ポイント
- 練習
この動画の要点まとめ
ポイント
キリスト教は前途多難の歴史!
これでわかる!
ポイントの解説授業
皇帝崇拝を拒否したキリスト教
なぜキリスト教徒は迫害されたのでしょうか?
それは 皇帝崇拝を拒否したから です。
当時のローマでは、 皇帝は死んだあとに神として崇拝される というならわしがあったのです。
しかし、キリスト教徒にとって皇帝は神ではありません。
彼らは皇帝崇拝を拒否し、迫害を受けることになりました。
紀元64年には ネロ帝 が迫害を行いました。
彼は ローマで起こった大火事の責任をキリスト教徒になすりつけたのです。
ネロ帝は少し特殊な理由で迫害を行いましたが、他の皇帝は 皇帝崇拝の拒否を理由に迫害を行います。
ディオクレティアヌス帝とユリアヌス帝
有名な迫害が ディオクレティアヌス帝の大迫害 です。
彼はキリスト教徒を根絶やしにしようと、大規模な迫害を行いました。
また、4世紀後半には ユリアヌス帝 が迫害を行いました。
実は、彼の時代にはすでに キリスト教が公認されていた ため、彼は裏切り者という意味をこめて「 背教者 」と呼ばれました。
このように、キリスト教徒は何度も迫害を受けましたが、信者の数は一向に減りませんでした。
彼らは迫害中、 カタコンベ と呼ばれる地下墓所に避難し、礼拝を行って信仰を守っていたのです。
いよいよキリスト教が公認される!
長い迫害の歴史を経て、いよいよキリスト教が公認されていきます。
こちらを見てください。
コンスタンティヌス帝 は、313年に ミラノ勅令 を発布してキリスト教を公認しました。
テオドシウス帝 は、392年に キリスト教の国教化 を決めたのです。
最終的に、キリスト教は地図で示されている範囲にまで広く伝わりました。
迫害の歴史と、公認されるまでの流れをセットで覚えておきましょう。
ポイントの2つ目は「キリスト教への迫害とミラノ勅令」です。
キリスト教の教えは、いきなり全ての人びとに受け入れられたわけではありません。
最初は 迫害を受けることもあったのです。
まずは迫害の歴史を確認しましょう。
こちらを見てください。