高校世界史B
5分でわかる!国家というよりは集落の集合体!?
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この動画の要点まとめ
ポイント
国家というよりは集落の集合体!?
これでわかる!
ポイントの解説授業
まずはこちらを見てください。
伝説上の王朝「夏」
中国最古の伝説上の王朝を 夏 といいます。
夏については、現在でも発掘調査が行われています。
その存在が確実なわけではないため、「伝説上」の王朝といわれます。
中国最古の王朝「殷」
夏と違って、その存在が確認できる王朝で、
中国最古といわれるのが 殷 (いん)です。
殷の遺跡として、王朝後期の都遺跡 殷墟 が有名です。
殷墟からの出土品によって、当時の王朝がどのような政治を行っていたのかが分かっています。
殷は、 商 という大規模集落を盟主とする 連合国家 でした。
黄河文明末期に成立した 邑 のなかでも、特に大きな邑を 大邑 といいます。
大邑の 商 が中心となり、集落どうしが力を合わせ、
連合国家である 殷 をつくったのです。
神権政治で人びとをまとめた!
大邑の商は、自らの政治的な地位を高めるために 神権政治 を行いました。
神権政治とは 占いに基づいて行う政治 のことです。
政治と宗教、両方の力を使って人びとをまとめようとしたのです。
当時は、少し独特な方法で占いを行いました。
亀の甲羅や動物の骨に傷をつけて火の中に放り込み、
そのときにできた ひび を使って占いました。
その占いの結果を記したものが 甲骨文字 です。
甲骨文字は、後の 漢字の母体となりました。
易姓革命/王の名字が変われば、王朝が変わる
最終的に殷は、周に敗れて滅亡してしまいます。
このように、古い王朝から新しい王朝に代わることを、
中国では 易姓革命 といいます。
「易」は「変わる」、「姓」は「名字」という意味です。
つまり 王の名字が変われば、王朝が交代する ということです。
殷王朝の時代は終わり、周王朝の時代が始まります。
次のポイントで、周王朝について見ていきましょう。
ポイントの2つ目は「中国の初期王朝」です。
古代中国に登場した 初期王朝 について学習します。
ただ、「王朝」とはいっても、当時の国家は小規模なものでした。
国家というより集落の集合体 といったほうが正確かもしれません。