5分でわかる!「王を助けろ!」から「王を倒せ!」へ
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この動画の要点まとめ
ポイント
1つ目のポイントは「春秋・戦国時代の社会の変化」です。
前回の授業で学習した 東周 王朝を覚えていますか?
紀元前11世紀に成立した 周 ( 西周 )が異民族の侵入を受け、
東に逃れて建国したのが東周王朝です。
周は都を 鎬京 から 洛邑 に移しました。
春秋・戦国時代 とは、 周が洛邑に都を移してから、
秦王朝が中国を統一するまで の期間を指します。
ここまでのお話を、地図で振り返りましょう。
西周は地図中の赤線で囲まれた範囲を領土とし、鎬京に都を置きました。
周の王様は領土を一族の与え、彼らに統治を任せます。
ところが異民族の侵入により鎬京は陥落、王は慌てて東へ逃げ出し、
新たに洛邑を都としました。
都が移っただけで領土や王の一族は代わっていない ので、
この出来事を境に西周/東周と呼び分けます。
春秋時代|キーワードは「尊皇攘夷」!
東周は、紀元前770年頃から 春秋時代 と呼ばれる時代を迎えます。
この時代、各地の有力な諸侯は、自ら 覇者 を称して「 尊王攘夷 」を掲げました。
尊皇攘夷とは「 王を助け、異民族を打ち払え! 」という考え方です。
つまり 力のある諸侯が、異民族から王を助けようとしてくれたのです。
当時の有力な諸侯として、 斉 の 桓公 と 晋 の 文公 をおさえておきましょう。
「斉」や「晋」とは当時の国の名前です。
戦国時代|キーワードは「下克上」!
この後、中国は 戦国時代 に突入していきます。
そのきっかけとなったのが、紀元前403年の 晋の分裂 です。
晋は 下剋上 によって 韓・魏・趙 の3国に分裂してしまいました。
下克上とは「 身分の低い者が、高い者を実力で倒すこと 」を指します。
晋の分裂以降、中国は 実力主義 と 下剋上 の時代に突入します。
これが 戦国時代 の大きな特徴です。
春秋時代の諸侯は 尊皇攘夷を掲げ、王を助けようとしましたが、
戦国時代の諸侯は 王を倒し、自分が天下を取ろうとしたのです!
諸侯たちは叫びました。
「王の力が弱いのなら、助ける必要なんてない。 俺が天下を取ってやる! 」
まさに実力主義・下克上の考え方です。
こうした風潮の中、周王室の権威はあってないようなものになってしまいました。
戦国の七雄
戦国時代に活躍した七つの国を「 戦国の七雄 」といいます。
韓 ・ 魏 ・ 趙 ・ 秦 ・ 楚 ・ 斉 ・ 燕 の七国です。
この七国が天下を取ろうと対立状態にあった時代が戦国時代なのです。
春秋時代と戦国時代では、諸侯たちの考え方が大きく変わりました。
キーワードはそれぞれ、「尊皇攘夷」と「下克上」です。
今回学んだことを、しっかり覚えておきましょう。
中国の古典文明の2回目。
今回は「春秋・戦国時代」について学習します。