5分でわかる!始皇帝の統治は厳しすぎ!?
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この動画の要点まとめ
ポイント
郡県制の実施/「郡」の字に要注意!
始皇帝は、地方統治のために 郡県制 を実施しました。
全国を郡に分け、その下に県をおき、任命した官吏(役人)を派遣する 制度です。
郡県制は始皇帝が登場する前からありましたが、彼の時代に全国に拡大しました。
皇帝が任命した役人が地方を統治することで、 皇帝の命令が地方に行き届きます。
郡県制の実施により、皇帝が中国全土を直接管理するようになったのです。
ちなみに 郡県制の「郡」の字は、群馬県の「群」ではありません。
テストで書き間違えないよう、注意してください!
思想・言論の統制である「焚書・坑儒」
続いて紹介するのは 焚書・坑儒 です。
ちなみにこちらも、坑儒の「坑」という漢字に注意してください。
焚書・坑儒は、かなり残酷な政策です。
始皇帝の統治が厳しいといわれる所以は、
この政策にある といっても過言ではありません。
なんと、始皇帝は 自らの統治に都合の悪い書物を焼き払い、
皇帝に対して批判的な儒家を生き埋めにしたのです。
焚書は書物を燃やすこと、坑儒は儒家を生き埋めにすることを表します。
始皇帝が行った 思想や言論の統制 を 焚書・坑儒 といいます。
貨幣の統一|半両銭の使用
始皇帝は、中国統一にあたり 貨幣の統一 も行いました。
彼が発行した通貨を 半両銭 といいます。
国ごとに異なっていた貨幣を統一することで、
取引がスムーズに行われるようにしたのです。
兵馬俑の副葬|始皇帝の権力の強さを表す
始皇帝の権力は、歴代皇帝の中でも非常に強大でした。
その強大さを象徴しているのが、彼のお墓に副葬された 兵馬俑 です。
彼の死後、お墓には 人間の兵士を模した焼き物が設置されました。
こちらを見てください。
左側のイラストが兵馬俑です。
兵馬俑は 一つ一つ顔や背丈が異なっています。
始皇帝は生前、部下に対して 自分が死んだら一緒に墓に入るよう命じていました。
実際に始皇帝が死ぬと、部下たちは慌てました。
いかに始皇帝の命令といえども、死ぬのはイヤですよね。
そこで彼らは兵馬俑をつくり、始皇帝の墓に副葬したのです。
始皇帝の対外政策|万里の長城の建設、匈奴の討伐
最後に始皇帝の 対外政策 について確認しておきましょう。
彼は、現在世界遺産となっている 長城 ( 万里の長城 )を修築しました。
その理由は、当時モンゴル高原にいた強敵、 匈奴 との戦いに備えるためです。
長城の修築だけではなく、彼は匈奴に対して遠征軍を送りました。
始皇帝は、匈奴だけではなく ベトナム にも遠征を行い、 南海郡 を設置しました。
中国の南北に遠征軍を送り、領土を守ろうとしたのです。
以上、始皇帝の統治政策をしっかり覚えておきましょう。
ポイントの2つ目は「始皇帝の統治」です。
中国を統一した始皇帝は、国を厳しく支配しようと 急激な改革を行いました。
彼の改革はあまりにも厳しく、民衆が反発を覚えるほどでした。
いったいどんな改革だったのか、詳しく見ていきましょう。