5分でわかる!ついに不満が爆発!
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この動画の要点まとめ
ポイント
中国史上初の農民反乱!陳勝・呉広の乱
陳勝 と 呉広 は 指導者の名前 です。
陳勝・呉広の乱は、この2人を指導者とする 中国史上初の農民反乱 でした。
陳勝は「 王侯将相いずくんぞ種あらんや 」という言葉を残しています。
簡単に言うと「王だとか軍人だとか一般庶民だとか、天下を取るのにそうした身分は関係ない、 実力があればいい! 」という意味です。
戦国時代以来の 実力主義 の考え方ですね。
陳勝・呉広の乱は鎮圧されるも、秦の支配が弱まった!
史上初の農民反乱である陳勝・呉広の乱。
陳勝らの指導の下、多くの農民が立ち上がりましたが、
所詮彼らは戦いに関しては素人です。
この反乱は結局、1年足らずで鎮圧されてしまいました。
ただ、この反乱は無駄だったわけではありません。
秦は次第に弱体化し、その支配は地方にまで及ばなくなっていきます。
項羽と劉邦の頂上決戦!ついに秦が滅亡する...
力を失った秦を尻目に、有力者たちが次のリーダーをめぐって争いました。
次々と脱落者が出る中、最後に残ったのは 項羽 と 劉邦 という人物です。
項羽は 楚の名家出身 、かたや劉邦は 農民出身 という、対照的な出自でした。
この2人がぶつかり、最終的に勝利したのは… 劉邦 だったのです!
勝敗を分けたのは人柄の違い!?
項羽と劉邦の争いは、劉邦の勝利で幕を閉じます。
勝敗を分けたのは、 2人の人柄の違い にあったのかもしれません。
項羽は自分に対しても、他者に対しても厳しい人物でした。
たとえば部下がミスをすると、厳しく叱責したといわれています。
一方、農民出身の劉邦は、自分一人では何もできませんでした。
項羽のような知力や財力、権力もありません。
ですが、劉邦は 自分のために働いてくれる部下を非常に大切にしました。
そんな彼のもとには、優秀な人材がたくさん集まったのです。
陳勝・呉広の乱がきっかけに、秦が弱体化。
項羽と劉邦が争い、最終的に劉邦が勝利。
以上が今回のお話です。
劉邦はこの後、中国に新しい国を建国することになります。
ポイントの3つ目は「陳勝・呉広の乱と秦の滅亡」です。
これまで見てきたように、秦の始皇帝は 国内外の改革を一気に進めました。
人びとはその改革についていけず、始皇帝の死後に 不満を爆発させます。
こうして発生したのが 陳勝・呉広の乱 です。
こちらを見てください。