5分でわかる!秦の失敗を反省した統治
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この動画の要点まとめ
ポイント
ポイントの1つ目は「秦の失敗を反省した統治」です。
まずは、前回の内容を少しおさらいしましょう。
項羽との争いに勝利した劉邦、秦に代わって前漢を建国!
秦が崩壊した後、各地の有力者が次のリーダーをめぐって争いました。
最終的に項羽と劉邦が残り、 劉邦が勝利 します。
ここまでが前回の内容です。
この後、勝利した劉邦は 前漢 という国をつくります。
少しややこしいですが、劉邦は 高祖 という名前で呼ばれることがあります。
前漢の建国者=初代皇帝 として劉邦を指す場合、高祖と呼ばれるのです。
皇帝の名前は その人物の業績をもとにつけられることがあります。
「 祖 」という字が使われる場合、たいていは 王朝の建国者 を意味します。
前漢の建国者である劉邦は、高祖と呼ばれました。
高祖は 長安 に都を置き、秦に代わる新たな王朝、 前漢 を建国します。
こちらを見てください。
図には前漢の領土が示されています。
範囲としては、秦の領土とそれほど変わりません。
この領土を、高祖は 秦の失敗を活かし、ゆるやかに統治するのです。
秦の失敗を活かした郡国制|郡県制と封建制をミックス!
秦の失敗は、統治を厳しくしすぎたことでした。
皇帝の命令が地方に届く体制を整えたのはいいものの、
あまり人びとの支持は得られませんでした。
この反省を活かし、高祖が統治に利用したのが 郡国制 です。
郡国制は、 直轄地には郡県制 、 それ以外には封建制 を施行する統治制度です。
封建制は、周の時代に見られた 一族に統治を任せる方法 でしたね。
中央から役人を派遣する郡県制だけでは、各地に不満が募ります。
封建制も同時に採用することで、中央集権と地方分権のバランスをとったのです。
郡県制と封建制をミックスした制度、それが 郡国制 です。
国内では巧みな統治を見せた高祖でしたが、国外では失敗もありました。
中国北方にいた 匈奴 の 冒頓単于 (ぼくとつぜんう)に敗れてしまったのです。
ちなみに「単于」とは 君主 を意味します。
軍国制度の欠点|皇帝が力を失うと、各地で反発が起こる!
高祖が採用した郡国制には、一つ 問題点 があります。
郡国制は郡県制と 封建制 をミックスさせた統治方法でしたね。
封建制は 一族に権力を与え、統治を任せる方法 です。
郡国制の問題点はここにあります。
皇帝が力を失えば、一族の有力者が権力をねらって裏切る可能性があるのです。
実際に高祖の死後、前漢では幼い皇帝や病弱な皇帝が続いたのですが、
案の定 諸侯たちは次第に皇帝の言うことを聞かなくなっていきました。
第6代景帝、諸侯の抑圧に乗り出す!
そこで登場するのが 景帝 です。
前漢の第6代皇帝に即位した 景帝 は、
この状況に危機感を覚え、諸侯の領土削減と抑圧を試みました。
皇帝の権力を高めるため、諸侯の領土を取り上げようとしたのです。
諸侯たちはもちろん黙っていません。
皇帝に反発し、 呉楚七国の乱 を起こしました。
呉や楚を中心とした、合計七人の諸侯が起こした反乱です。
結果的に、この反乱は鎮圧されました。
わがままな諸侯をおさえつけ、皇帝の言うことを聞かせる体制が、
景帝の時代に整ったのです。
この後に登場する皇帝は、この体制を活かして強力な統治を行います。
中国の古典文明の4回目。
今回は「前漢の時代」について学習します。