5分でわかる!武帝の対外遠征!張騫が起こした奇跡
- ポイント
- ポイント
- ポイント
- 練習
この動画の要点まとめ
ポイント
打倒、匈奴!張騫を大月氏に派遣し、同盟締結を目指す
紀元前139年、武帝は 張騫 (ちょうけん)という人物を 大月氏 に派遣しました。
大月氏と同盟を結び、 遊牧民族の匈奴を挟み撃ちしようとしたのです。
前漢にとって、匈奴は強力なライバルです。
ポイント1で紹介しましたが、初代皇帝の 高祖 も匈奴と戦い敗北しています。
同盟を結ぶため、大月氏を目指す張騫。
しかし、一つ大きな問題がありました。
実は、前漢の人たちは 大月氏がどこに位置するのか知らなかったのです。
うわさでは聞いているものの、居住地についての確実な情報はありませんでした。
大月氏を探すため、張騫はとりあえず西に向かいます。
こちらを見てください。
斜線が引かれている部分は前漢の領土です。
張騫はとにかく西に向かい、最終的に前漢に戻ってきました。
なんと、彼の旅は 13年の月日を費やした といわれています。
同盟締結は失敗に終わるも、西域の情報が前漢に伝わる!
張騫は困難を乗り越え、ついに大月氏にたどり着きます。
彼は意気揚々と同盟を申し出たものの、なんと 拒否されてしまいました。
皇帝の命を受けて旅をしている以上、手ぶらで帰るわけにはいきません。
張騫は近隣の国々にも同盟をお願いしますが、 いずれも拒否されてしまいました。
結局、同盟を結ぶことはできないまま、張騫は前漢に帰国します。
彼を出迎えた武帝は、張騫を責めるようなことはしませんでした。
むしろ 道中で彼が得た情報に興味津々だったのです。
当時はスマホもインターネットもなく、国外の情報は入手困難でした。
彼が道中で得た情報は、前漢にとって非常に貴重だったのです。
張騫がたどった道のりは、 のちにシルクロードと呼ばれる重要な貿易ルートとなりました。
匈奴討伐に成功!西域に進出
紀元前129年、武帝は匈奴の討伐に成功します。
東西交易路の重要地を確保し、 西域 へと進出していきました。
紀元前111年には、中国南部からベトナム北部に位置した 南越 という国を征服し、 日南郡 を設置しました。
紀元前108年には 衛氏朝鮮 を征服し、 楽浪郡 などの 朝鮮4郡 を設置しました。
衛氏朝鮮は、 衛満 という人物が朝鮮に建国した国です。
このように、武帝はどんどん領土を拡大していきました。
1日に1000里も走る馬!?
張騫の情報をもとに、武帝は 汗血馬 を獲得しました。
汗血馬は、古代中国で名馬と称された馬の種類です。
とても足が速く、1日に1000里を走り、血のような汗を流す といわれました。
中国における1里という単位は、だいたい500メートルを表すので、
1000里は約 500キロメートル です。
確かに「名馬」ですね。
以上、武帝の対外遠征について学習しました。
張騫の派遣や匈奴の討伐は、テスト頻出の重要事項です。
しっかり覚えておきましょう。
ポイントの3つ目は「武帝の対外遠征」です。
先ほどは武帝の国内政治について学習しましたが、今度は 対外遠征 です。
「武帝」という勇ましい名前に恥じないくらい、彼は数多くの戦争を行いました。