5分でわかる!西晋の失敗
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この動画の要点まとめ
ポイント
西晋は、単に 晋 と呼ばれることもあります。
都は 洛陽 に置かれました。
魏の皇帝から禅譲を受け、司馬炎が皇帝に即位
西晋を建国したのは 司馬炎 という人物です。
彼は 魏から禅譲を受け 、初代皇帝として即位しました。
禅譲とは 皇帝の地位を譲り受けること を指します。
魏は蜀を滅ぼした後、司馬炎に王朝を譲って 西晋 と名前を変えます。
その西晋が呉を滅ぼし、中国統一を完成させました。
司馬炎は 占田・課田法 という新しい土地制度を発布します。
土地制度を整えることで、国の基盤を作り上げようとしたのです。
帝位継承をめぐり、八王の乱が発生!西晋の失敗とは?
司馬炎の死後、皇帝の地位をめぐって 八王の乱 が発生します。
外戚や晋の一族らが対立し、西晋は内紛状態となりました。
最終的に西晋は、北方の遊牧民族 匈奴 によって滅ぼされてしまいます。
西晋が滅びた理由は、内乱が発生した後の行動にあります。
帝位継承をめぐる争いに勝つため、外戚たちは 異民族の力を借りたのです。
この行動は結局 異民族の侵入を招くことになりました。
五胡十六国時代の到来
西晋が匈奴によって滅ぼされると、中国北部は 異民族によって支配されることになりました。
この時代を 五胡十六国 時代といいます。
五胡 とは 匈奴 、 鮮卑 (せんぴ)、 羯 (けつ)、 氐 (てい)、 羌 (きょう)の5つの異民族の総称です。
五胡は中国に侵入し、およそ16の国をつくったといわれています。
こうして、中国北部は混乱期を迎えました。
西晋の一族が逃亡し、東晋を建国!
滅亡した西晋の一族は南に逃げ出します。
その中の1人、 司馬睿 (しばえい)という人物が、一族を率いて 東晋 を建国しました。
東晋は 建康 (現在の 南京 )に都を置きました。
北には異民族、南には東晋王朝。
分裂と混乱の時代は、まだまだ続いていきます。
西晋の中国統一から、東晋が成立するまでの流れをおさえておきましょう。
ポイントの2つ目は「西晋の統一と五胡十六国時代」です。
魏、蜀、呉が争う 三国時代 を終わらせ、中国を再度統一した王朝。
それが 西晋 です。