5分でわかる!華北を統一したのは中国人ではない!
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この動画の要点まとめ
ポイント
ポイントの1つ目は「鮮卑による華北統一」です。
前回の授業では、中国の北側(華北)を5つの異民族が統治する 五胡十六国 の時代を学習しました。
五胡十六国の時代、華北を統一したのは、中国人ではなく 異民族でした。
こちらを見てください。
鮮卑の国家「北魏」が建国される!
華北を統一したのは 北魏 という国です。
北魏は、五胡の一つである 鮮卑 という民族の国家です。
拓跋氏 によって建国され、都を 平城 に置きました。
太武帝の時代に華北を統一
北魏は徐々に力を増し、 太武帝 という皇帝のときに、華北の統一に成功します。
この太武帝という皇帝については、3つの重要なポイントがあります。
1つ目は、華北の統一に成功したこと。
2つ目は、当時モンゴル高原で活動していた 柔然 と呼ばれる遊牧国家と対立したこと。
3つ目は、華北統一のために 寇謙之 (こうけんし)を採用し、 道教 の国教化を進めたことです。
太武帝のポイント、しっかり覚えておきましょう。
漢化政策を進めた孝文帝
続いて紹介するのは 孝文帝 です。
孝文帝は、太武帝が統一した華北を、さらにまとめあげようとしました。
均田制 という土地制度や、 三長制 という村落制度を定めたのです。
土地の配布の仕方や、村落における連帯責任などを定め、国家基盤を固めました。
孝文帝の政策で特筆すべきは、 漢化政策 を行ったことです。
北魏を建国した 鮮卑 はもともと、中国北部にいた異民族でした。
彼らは 中国人(漢民族)の文化や風習を取り入れて、漢民族を支配しようとしたのです。
孝文帝は、都を平城から 洛陽 に移すなど、中国文化への同化を目指しました。
漢化政策に対し、自分たちの民族や文化に誇りを持つ人たちは反発しました。
特に軍人たちが不満を高め、彼らは大規模な反乱を起こします。
そして孝文帝の死後、北魏は 分裂していくことになるのです。
北魏の分裂
まず、北魏は 東魏 と 西魏 に分裂します。
東魏と西魏は仲が悪く、衝突を繰り返します。
最終的に勝利したのは... どちらの国でもありませんでした。
なんと、両国とも 部下に国を乗っ取られてしまったのです。
東魏を乗っ取ってできたのが 北斉 、西魏を乗っ取ったのが 北周 です。
北斉と北周は互いに争い、勝利したのは 北周 でした。
しかし、なんと北周は 隋 に乗っ取られてしまいました。
少しややこしいですが、北魏の分裂については 国の名前 をしっかり覚えることが大事です。
北魏の成立と分裂、テストまでに復習しておきましょう!
魏晋南北朝の2回目。
今回は「北朝と南朝の対立」について勉強します。