5分でわかる!戦乱の世の中だからこそ栄えたもの
- ポイント
- ポイント
- ポイント
- 練習
この動画の要点まとめ
ポイント
ポイントの1つ目は「戦乱の世の中に栄えた思想や宗教」です。
これまで勉強してきたように、魏晋南北朝は 混乱の時代 でした。
戦乱や混乱が数百年以上も続き、社会は不安定だったのです。
魏晋南北朝時代の文化は、こうした時代背景の影響を強く受けています。
戦乱の世の中だからこそ栄えた独特の文化 が誕生するのです。
「清談」の流行
魏晋南北朝時代には、 清談 が流行しました。
これは 老荘思想に基づく哲学的な談論 です。
後漢末期以降、中国では政治的な混乱が続きました。
下剋上 によって、王朝が次々と交代したのです。
このような状況では、漢代に力を持っていた 儒教 の考え方が、時代にそぐわなくなっていきます。
儒教は 年長者や上司、皇帝など、目上の人を敬う ことを説いています。
しかし、肝心の王朝が目まぐるしく交代し、敬うべき上位者が次々と変わってしまうのです。
こうした状況の中で、儒教の教えにとらわれず、自由な議論を行う風潮があらわれます。
知識人を中心に、 現実逃避的な話し合い が行われるようになったのです。
これを 清談 といいます。
諸子百家のところで勉強した、老子や荘子が唱えた 無為自然 の境地を目指し、
知識人たちは自由気ままに議論を行いました。
仏教の流行
魏晋南北朝時代には 仏教が流行します 。
当時は 下克上の時代 。
出身や立場は関係なく、実力のある者が天下を取る時代でした。
こんな時代だからこそ、 平等思想 を説く仏教が、
身分が低い層を中心に流行したのです。
この時代、仏教の流行に貢献した 西域出身の有名人 が2人います。
1人目は 仏図澄 (ぶっとちょう)です。
仏図澄は布教活動に専念し、1万人近くの漢人僧を育成しました。
2人目は 鳩摩羅什 (くまらじゅう)です。
鳩摩羅什は仏典の漢訳に専念しました。
仏教はもともとインドで生まれたので、インドの人向けに書かれた仏典を、漢字に訳したのです。
彼は 中国仏教史上最大の貢献者 と称えられています。
仏教寺院の建設
仏教の流行に伴い、 仏教寺院 も建設されました。
こちらを見てください。
左から順に、敦煌付近に建設された莫高窟(ばっこうくつ)、平城付近の 雲崗 に建てられた石窟寺院、洛陽付近の 竜門 にある石窟寺院です。
仏教の流行とともに、寺院の建設も進んだことをおさえておきましょう。
魏晋南北朝の3回目。
今回は「魏晋南北朝の文化」について学習します。