5分でわかる!財産の再建策が持つ「意義」
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この動画の要点まとめ
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さきほど、 玄宗 の時代に 安史の乱 が発生したことを紹介しました。
安史の乱を受け、 多くの農民が没落・逃亡してしまいます。
唐は、この混乱にどのように対処したのでしょうか?
両税法の制定
国を運営していくためには、 お金 が必要です。
お金が入ってこないと政治を行えません。
そこで、唐王朝は 両税法 という新しい税制を定めました。
両税法は、夏と秋の2回に分けて税金を納める徴税方法です。
そして、 土地所有者が税を負担する という特徴を持っています。
各家庭が持っている土地(資産)に応じて税金がかかるようになったのです。
ここがポイントです。
これまでは、均田制にもとづき、農民に等しく土地を与えて税金をとっていました。
しかし、貧しい農民が逃亡したりすることで、均田制が成り立たなくなってしまったのです。
両税法が制定されたことで、 一部の貴族や農民が土地を独占するようになりました。
ちなみに、貴族が私有した大土地を 荘園 といいます。
塩の専売
財政再建のために、唐王朝は 塩を専売にしました。
専売とは、国だけが塩を売る権利を独占することです。
これに反発し、塩の密売商人であった 黄巣 という人物が 黄巣の乱 を起こしました。
大規模な反乱が再び起こったことで、 貴族のもっている土地(荘園)が荒れてしまいました。
さらに、地方の節度使が自立化し、国の言うことを聞かなくなったのです。
この反乱によって唐王朝の機能はストップし、貴族も生活基盤を失ってしまいました。
藩鎮の登場
唐王朝や貴族が力を失う一方で、 節度使は力をつけていきました。
もともと軍人だった節度使は、軍事権・財政権・民政権の3つを掌握し、
自分が担当している地域の人びとを支配し始めました。
このように力をつけていった節度使を 藩鎮 と呼びます。
藩鎮の登場によって、唐の政治は完全に破たんしてしまいました。
907年、ついに唐が滅亡!
907年、ついに唐は滅亡します。
唐を滅ぼしたのは、節度使の 朱全忠 という人物です。
彼は唐を滅ぼして 後梁 を建国しました。
唐王朝は財政再建を試みましたが、その改革に対する反乱が起きます。
唐王朝の政治機能は停止し、最終的に滅亡することになります。
この流れをしっかり覚えておきましょう。
ポイントの3つ目は「唐の財政再建と滅亡」です。
まずは 唐の財政再建 について見ていきます。