5分でわかる!アッバース朝の支配は完璧!
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この動画の要点まとめ
ポイント
さきほど紹介したウマイヤ朝は 非アラブ人を差別する統治 を行いました。一方、これから紹介する アッバース朝 は、ウマイヤ朝を反面教師にして「完璧」な統治を行いました。いったいどんな統治だったのでしょうか?
ウマイヤ朝の失敗は繰り返さない!
アッバース朝の建国者を アブー=アルアッバース といいます。彼はウマイヤ朝の支配に不満を持つ人々を味方に付け、アッバース朝を建国しました。その支配領域を地図で確認しましょう。
ウマイヤ朝時代の領土とほぼ同じですが、 イベリア半島 の領土は失っています。また、領土の東端は 中国の唐王朝 と国境を接していました。
タラス河畔の戦い/製紙法が西方へ伝わる!
751年、アッバース朝は、国境を接する唐王朝と戦争を行いました。これを タラス河畔 の戦いといいます。
この戦いではアッバース朝が勝利しましたが、戦争の勝敗よりもみなさんに覚えてほしいことがあります。それは、この時アッバース朝の捕虜になった唐の兵士によって 製紙法の技術が西方の世界に伝わった ことです。当時イスラーム世界に紙は無く、動物の皮を加工した羊皮紙が使用されていました。
ちなみにアッバース朝は、第5代カリフ ハールーン=アッラシード の時代に最盛期を迎えました。
ウマイヤ朝の失敗を反省した統治!
アッバース朝は 全てのムスリム にハラージュ(地租)を、 非ムスリム にはジズヤ(人頭税)とハラージュを課しました。民族に関係なく ムスリムであるかどうか で税金を区別したのです。
ウマイヤ朝は アラブ人であれば免税で、非アラブ人であれば税金を課していましたね。 アッバース朝は ムスリムであるかどうか で税金に差を設けました。ウマイヤ朝の失敗を見事に生かしたのです。
ちなみに、アッバース朝は イスラーム帝国 と呼ばれることがあります。税制度からも分かるように「イスラーム教徒のための帝国」を築いた王朝なのです。
モンゴル軍によって滅ぼされる…
こうした工夫でアッバース朝の治世は安定しましたが、1つ弱点がありました。 領土が広すぎた ために、1人のカリフでは統治しきれなくなってしまったのです。
10世紀に入ると、軍隊の司令官・総督である アミール が各地で自立しました。各地のアミールの力が強くなる一方で、カリフの力はどんどん衰えていきました。そして1258年、 フラグ という人物が率いたモンゴル軍の攻撃で、アッバース朝は滅ぼされてしまいました。
領土が広すぎたことが災いし、アッバース朝は滅んでしまいました。しかし、アッバース朝は 長く安定した治世を実現することに成功したのです。 ウマイヤ朝と異なり ムスリムであるかどうか で税金に差を設けたことを覚えておきましょう。
ポイントの3つ目は「アッバース朝」です。
イスラーム世界について、ここまで 正統カリフ時代 → ウマイヤ朝 の順で勉強してきましたね。ポイント3では、ウマイヤ朝の後に登場するのが アッバース朝 について勉強します。