高校世界史B
5分でわかる!東西交易の要衝にイスラーム教が浸透!
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この動画の要点まとめ
ポイント
東西交易の要衝にイスラーム教が浸透!
これでわかる!
ポイントの解説授業
ポイントの1つ目は「中央アジアのイスラーム化」です。
まずは 中央アジア の位置を地図で確認しましょう。
こちらを見てください。
斜線が引かれている地域が中央アジアです。この地域は地理的にとても重要な位置にあります。 ヨーロッパ方面と中国方面を接続する、東西交易の中継地点 だったのです。
今回は、この地域で栄えた4つの王朝を紹介します。順番に覚えていきましょう。
サーマーン朝とカラハン朝
最初に紹介するのは サーマーン朝 (875~999)です。サーマーン朝は東西交易で繁栄し、 トルコ人奴隷を西アジアへ輸出していました。 当時、多くのトルコ人がサーマーン朝の支配下にあったのです。
ところが、次第にトルコ人たちが反発を強め、サーマーン朝を滅ぼしました。そこで登場するのが カラハン朝 (940頃~1132頃)です。この王朝は 最初のトルコ系イスラーム王朝 でした。サーマーン朝に支配されていたトルコ人が建国した王朝です。
西遼とチャガタイ=ハン国
そのカラハン朝を滅ぼしたのが 西遼 (1132~1211)です。別名 カラキタイ とも呼ばれます。
西遼の建国者は 耶律大石 という人物です。国と建国者の名前が 漢字 であることから分かるように、彼は中国方面出身の人物でした。
西遼のあとに登場し、最終的に中央アジアを支配したのが チャガタイ=ハン国 (1227~14世紀後半)です。この国については、モンゴルの歴史の授業で詳しく解説します。
以上、中央アジアに栄えた4つのイスラーム王朝を紹介しました。それぞれの国の名前はもちろん 中央アジアが東西交易の重要な中継地だった 点もおさえておきましょう。
イスラーム世界の4回目。
今回は「東方イスラーム世界」について学習します。