5分で解ける!東方イスラーム世界に関する問題
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この動画の問題と解説
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解説
中央アジアは、東西交易の中継地点として栄えた
まずは中央アジアのイスラーム王朝を確認します。最初の王朝は サーマーン朝 でしたね。 トルコ人奴隷 を西アジアに多く輸出していました。そこで奴隷となっていたトルコ人が建国したのが カラハン朝 です。
中国方面から逃れてきた 耶律大石 という人物が建国したのが 西遼 です。
最後に登場したのが、モンゴル系の チャガタイ=ハン国 です。中央アジアに登場した王朝をしっかり覚えておきましょう。
西アジアでは、様々な王朝がバグダードに入城
続いて、西アジアのイスラーム王朝を確認します。最初にバグダード入城を果たしたのは、シーア派の ブワイフ朝 でした。ブワイフ朝は、アッバース朝のカリフから 大アミール の称号を授かり、軍事・行政権を掌握します。
ブワイフ朝を滅ぼしたのが、トゥグリル=ベクが建国した セルジューク朝 でした。セルジューク朝が スルタン の称号を授かったことで、以後スンナ派の世俗君主の称号としてスルタンが使わるようになります。また、給与制度である イクター制 が整備されたこともおさえておきましょう。
「アフガニスタン方面に進出した」王朝といえば ホラズム=シャー朝 です。ホラズム=シャー朝は アフガニスタン方面に領土を拡大しました。
ポイント2で最後に登場したのが、モンゴル系の イル=ハン 国です。イル=ハン国は、あの アッバース朝 を滅ぼたことで有名です。
王朝の数が多いインド
最後に、インドのイスラーム王朝を紹介します。インドのイスラーム化が促進されたのは10世紀末頃からです。 ガズナ朝 と ゴール朝 という2つの王朝の時代でした。
1206年からは デリー=スルタン朝 が成立します。この王朝はデリーを都とする5つの王朝をまとめた総称で、最初の王朝が 奴隷王朝 でしたね。建国者の アイバク が奴隷出身の人物だったことから、このように名づけられました。
高校世界史Bの問題
- 先史時代
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- ギリシア世界
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- インドの古典文明
- 東南アジア前近代史
- 中国の古典文明
- 中国の分裂・混乱期(魏晋南北朝)
- 東アジア文明圏の形成(隋・唐)
- 中世ヨーロッパ世界の成立
- 中世ヨーロッパ世界の展開
- 中世ヨーロッパ世界の各国史
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- 中国周辺地域史
- イスラーム世界の繁栄
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- 主権国家体制と西欧絶対王政
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- フランス革命とナポレオン
- ウィーン体制の成立と崩壊
- 19世紀の欧米諸国(1) 英・仏・伊・独
- 19世紀の欧米諸国(2) 露・米
- 19世紀の欧米諸国(3) 19世紀の欧米文化
- 中国と朝鮮の植民地化
- アジア諸地域の植民地化
- 帝国主義の時代
- 世界分割と列強の対立
- 帝国主義と東アジア
- 帝国主義とアジアの民族運動
- 第一次世界大戦とロシア革命
- ヴェルサイユ体制とワシントン体制
- 第一次世界大戦後の欧米諸国
- 戦間期のアジア諸地域
- 世界恐慌とファシズム諸国の侵略
- 第二次世界大戦と戦後秩序の形成
- 米ソ冷戦の時代
- 冷戦の激化と西欧・日本の経済復興
- 第三勢力の台頭と米ソの歩み寄り
- 自立を強める東アジア
- アジア諸地域の紛争
- 経済危機と冷戦の終結
- 現代文明と各地の紛争
今回は東方イスラーム世界についての学習でした。
内容をおさらいしていきましょう。