5分でわかる!また民族の侵入!?
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この動画の要点まとめ
ポイント
「ヴァイキング」の異名を持つノルマン人
フランク王国分裂と同時期に移動を行った民族、それが ノルマン人 です。ノルマン人は ヴァイキング の別名で知られ、スカンディナヴィア半島やユトランド半島を原住地としています。ヴァイキングとは「入り江の民」「入り江の人」という意味です。
ノルマン人が移動を始めた背景には 気候の変化 がありました。8世紀になると ヨーロッパの気温が下がり始めた ため、ノルマン人は より暖かい地域で暮らすために、移動を始めたのです。 彼らは 船を使って、海上ルートでヨーロッパ各地に侵入しました。 こちらを見てください。
ノルマン人の原住地と、移動ルートが示されています。彼らは船を使い、ロシア・フランス・地中海方面に至る広範囲に移動しました。
移動先で多くの国を建国!
ノルマン人たちは移動した先で新たな国をつくりました。まず、原住地に近い地域に3つの王国を建国します。 デンマーク王国・ノルウェー王国・スウェーデン王国 の3つです。
ロシア方面
ロシア方面では2つの国が建国されました。
ノブゴロド国 と キエフ公国 です。
ノブゴロド国は862年に誕生しました。 リューリク という人物が、ノルマン人の一派である ルーシ (ルス)という民族を率いて建国したのです。ノヴゴロド国は 現在のロシアの起源 と言われています。
この後、ノヴゴロド国の将軍が南に進み、ドニエプル川流域に キエフ公国 を建国します。
北フランス方面
北フランス方面では、911年に ノルマンディー 公国が建国されました。建国者は、ノルマン人の首長 ロロ です。
イギリス方面
イギリス方面では、少し複雑な状況になっていました。
当時のイギリスでは アングロ=サクソン七王国 が統一され、 イングランド王国 が成立していました。このイングランド王国に、ノルマン人たちが侵入したのです!
9世紀末、イングランドの アルフレッド大王 は、ノルマン人の一派 デーン人 を撃退しました。デーン人のイングランド侵出は失敗してしまったわけです。しかし彼らはあきらめません。アルフレッド大王の死後、もう一度侵入を試みます。その際、デーン人を率いた指導者が クヌート という人物です。
デンマークの王子であったクヌートは、デーン人を率いてイングランドを征服。11世紀には イギリス・デンマーク・ノルウェーを支配する広大な領土 を形成します。ちなみに、クヌートが築いたこの領土を 北海帝国 と呼びます。クヌートの死後はデーン人の王朝が崩壊し、再びアングロ=サクソン系の王朝が復活しました。
南イタリア(地中海)方面
最後は南イタリア方面です。
こちらでは、12世紀に 両シチリア王国 が建国されました。
以上、ノルマン人が各地に建国した国を紹介してきました。
北欧出身のノルマン人は、船を使ってヨーロッパ各地に侵入し、新たな国を建国したのです。また、彼らの活発な移動により ローマ帝国以来の地中海交易ルートが再び活性化した という影響もありました。今回紹介したノルマン人の国、しっかり覚えておきましょう。
ポイントの2つ目は「ノルマン人の侵入」です。
ポイント1では フランク王国の分裂 について説明しました。
ポイント2では、フランク王国分裂と同時期に行われた ある民族の移動 について学習します。