5分でわかる!西ローマ帝国滅亡後のローマ教会の苦悩
- ポイント
- ポイント
- 練習
この動画の要点まとめ
ポイント
ポイントの1つ目は「ローマ教会の苦悩」です。
西ローマ帝国滅亡後の ローマ教会 に注目します。
まずは、前回までのお話を振り返りましょう。
西ローマ帝国滅亡!ローマ教会は政治的な保護者を失う
古代ローマの章で ローマ帝国 について学習したのを覚えていますか?最盛期には広大な領土を誇ったローマ帝国でしたが、395年には 東西に分裂してしまいました。 こちらを見てください。
ローマ帝国が東西に分裂すると、西ローマ帝国と東ローマ帝国が成立しました。そのどちらにおいても、民衆と、民衆に教えを広める 教会 が存在していました。西では ローマ教会 が、東では コンスタンティノープル教会 が、民衆にキリスト教を広める中心的な役割を担っていたのです。
また、緊急事態が生じた場合、例えば異教徒や他国の軍勢が侵入してきた際には、 西ローマ皇帝 がローマ教会を守り、 東ローマ皇帝 がコンスタンティノープル教会を守りました。これが、東西ローマ帝国と教会との関係でした。
西ローマ帝国が消滅!ローマ教会は大ピンチ!
しかし、この状況に大きな変化が訪れます。ヨーロッパ世界に ゲルマン人 が侵入したことで、476年に 西ローマ帝国が滅亡してしまったのです! こちらを見てください。
西ローマ帝国は滅亡し、教会を守護する西ローマ皇帝がいなくなってしまいました。 ローマ教会は取り残されてしまったのです。
ローマ教会は「首位権」を主張
この苦境の中、ローマ教会は 首位権 を主張します。世の中に教会は多くあれど、ローマ教会こそが頂点に立つ、という主張です。首位権を主張することで、自らの権威を高めようとしたのです。
さらに、周囲のゲルマン人にも接触を試みます。ローマ教皇 グレゴリウス1世 は、ブリタニアを中心に ゲルマン人への布教 を行いました。ゲルマン人にキリスト教を広め、仲間にしようとしたのです。
ローマ教会は、ゲルマン人と民衆に積極的な布教を行います。さらに 東ローマ皇帝に、有事の際の保護を頼みました。 異教徒や異民族の侵略を受けた際は、東ローマに助けてもらうことにしたのです。
修道院を建設し、教会の権威を高める
529年ごろ、キリスト教修道士の ベネディクトゥス という人物が、 モンテ=カシノ に修道院を建設します。修道院とは、教会で働く 聖職者 を育てる学校のようなものです。
ベネディクトゥスは「 清貧・純潔・服従 」を理想に掲げ、「 祈り、働け 」というスローガンのもとで、聖職者の育成にあたりました。「服従」とは、上の立場の人間に従うことを是とする教えです。この教えが広まることで、ローマ教会やローマ教皇の権威が上昇しました。
階層別組織が形成される
こうした流れを受けて、ローマ=カトリック教会では、教皇(法王)を頂点とする 階層制組織 が成立しました。さらに農村部では、村落ごとに教会が一つ設置されるようになります。この教会を通じて、ローマ教皇は民衆を洗脳することが可能になりました。
以上、ローマ教会の苦悩について学習しました。
西ローマ帝国滅亡後のローマ教会は、
自らを守ってくれる政治的な保護者を探す一方、
自らの権威を高める様々な工夫も行っていたのです。
中世ヨーロッパ世界の展開、第1回。
今回は「ローマ=カトリック教会の発展」について学習します。