5分でわかる!ビザンツ帝国と大ゲンカ!
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この動画の要点まとめ
ポイント
ローマ教会は、布教の際に「聖像」を使用
ポイント1で学習したように、ローマ教会は ゲルマン人 に対してもキリスト教布教を行いました。その際、ローマ教会は 聖母マリアやイエスを描いたイラストや像 を用いたのです。これを「 聖像 」といいます。
ローマ教会が聖像を使って布教をした理由は、難しい言葉で説明するより絵の方が伝わりやすい上に、言葉が通じないゲルマン人にも、話の意図を伝えることができるからです。
ビザンツ皇帝レオン3世、聖像禁止令を発布!
しかし、この聖像の取り扱いが東西教会の対立を生みます。726年、ビザンツ皇帝 レオン3世 が 聖像禁止令 を発布したのです。聖像禁止令は、聖像を禁止し、聖像の破壊を命じる法律でした。
レオン3世が聖像禁止令を発布したのには、ある事情があります。当時、ビザンツ帝国は イスラーム勢力 と対立していました。イスラーム教は 聖像崇拝を固く禁止する 宗教です。聖像を使って布教していれば、イスラーム勢力に目をつけられてしまいます。つまりレオン3世は イスラーム勢力との対立を避けるために 聖像禁止令を発布したのです。
ローマ教会は猛反発!
聖像禁止令に対して ローマ教会は猛反発しました。 聖像を利用した布教を行うことで、ローマ教会は勢力を拡大していたからです。ローマ教会は ビザンツ皇帝と絶縁状態 となり、再び政治的に孤立してしまいました。
フランク王国に保護を求める!
政治的な保護者を失ったローマ教会は、あるゲルマン人国家に保護を求めます。それが、以前学習した フランク王国 です。こちらを見てください。
ローマ教会は、ケンカしたビザンツ帝国の代わりにフランク王国を「ボディーガード」としました。 カールの戴冠 により、 フランク王国をローマ教会の守護者に任命したのです。
ローマ教会は、民衆へ布教を行うとともに、ローマ教会の「支店」を通じてゲルマン人国家のフランク王国にも布教を行いました。教会の権威は上昇し、国王と同等、あるいはそれ以上となったのです。
ポイントの2つ目は「東西教会の対立」です。
西の ローマ教会 と、東の コンスタンティノープル教会 。東西2つの教会が、今回なんと 大ゲンカを始めます! いったい何があったのでしょうか!?