高校世界史B

高校世界史B
5分で解ける!ローマ=カトリック教会の発展に関する問題

27

5分で解ける!ローマ=カトリック教会の発展に関する問題

27

子どもの勉強から大人の学び直しまで
ハイクオリティーな授業が見放題

カンタン登録1分

この動画の問題と解説

練習

一緒に解いてみよう
下のカッコ内に入る語句を答えよう

高校世界史 中世ヨーロッパ世界の展開1 練習 括弧空欄

解説

これでわかる!
練習の解説授業
lecturer_avatar

今回はローマ=カトリック教会の発展についての学習でした。
内容をおさらいしましょう。

西ローマ帝国滅亡後のローマ教会の苦悩

lecturer_avatar

まず、西ローマ帝国滅亡後のローマ教会の様子について確認します。
476年、それまでローマ教会の守護者だった 西ローマ帝国が滅亡しました。 この苦境にローマ教会がどう対応したのかというと、まず 首位権 の主張がありましたね。自らを教会の最上位に位置づけ、いわばブランド化することによって、守護者を募ったのです。

lecturer_avatar

また、教皇 グレゴリウス1世 は、ブリタニアを中心に ゲルマン人への積極的布教 を行い、彼らを自分たちの陣営に取り込もうとしました。さらに、6世紀に ベネディクトゥスモンテ=カシノ修道院 を建設し、 ローマ教会に忠実な修道士 を育成しました。こうして、ローマ教会や教皇の権威がさらに高まっていったのです。

ビザンツ帝国と大ゲンカ!

lecturer_avatar

続いて、東西教会対立後のローマ教会の動きについて確認します。
726年、ビザンツ皇帝 レオン3世聖像禁止令 を発布したことで、東西教会の対立が深刻化します。聖像禁止令は、ビザンツ帝国が イスラーム勢力との対立関係を和らげるための手段 として打ち出したものでしたが、聖像を使って民衆やゲルマン人に布教を行っていたローマ教会はこれに大きく反発。東西教会は結局絶縁状態になってしまいました。

lecturer_avatar

こうして再び守護者を失ったローマ教会は、今度は急成長中のゲルマン人国家 フランク王国 に目をつけます。そして カールの戴冠 によって フランク王国を西ローマ帝国の後継 とし、ローマ教会の守護者と位置づけたのです。

答え
高校世界史 中世ヨーロッパ世界の展開1 練習
ローマ=カトリック教会の発展
27
友達にシェアしよう!
  • 学校で使っている教科書にあわせて勉強できる

      会員登録をクリックまたはタップすると、利用規約・プライバシーポリシーに同意したものとみなします。
      ご利用のメールサービスで @try-it.jp からのメールの受信を許可して下さい。詳しくは
      こちらをご覧ください。

      この授業のポイント・問題を確認しよう

      中世ヨーロッパ世界の展開

          会員登録をクリックまたはタップすると、利用規約・プライバシーポリシーに同意したものとみなします。
          ご利用のメールサービスで @try-it.jp からのメールの受信を許可して下さい。詳しくは
          こちらをご覧ください。

              会員登録をクリックまたはタップすると、利用規約・プライバシーポリシーに同意したものとみなします。
              ご利用のメールサービスで @try-it.jp からのメールの受信を許可して下さい。詳しくは
              こちらをご覧ください。

              高校世界史B