5分でわかる!教会の洗脳が行き届いた結果…
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この動画の要点まとめ
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荘園で暮らす人びとは、教会の言葉を疑わず、全て鵜呑みにしていました。荘園における唯一の情報発信者である教会の言うことは「絶対」だったのです。こうして教会の「洗脳」が行き届いた結果、中世ヨーロッパでは 巡礼 が流行しました。
巡礼の流行
巡礼とは キリスト教にゆかりのある土地を訪ねること を指します。11~12世紀のヨーロッパで特に流行しました。
カトリック教会の総本山である ローマ や、イエスが布教し、十字架にかけられた場所でもある、パレスチナの イェルサレム 。キリスト教の遺跡が立ち並ぶ、イベリア半島の サンチャゴ=デ=コンポステラ 。こうした場所が巡礼地として特に人気を集めました。
「人気を集めた」といっても、人びとが実際に訪れたわけではありません。荘園で暮らす農民は 勝手に外出することは許されなかったからです。 こうして、人びとは 巡礼に行きたいという強い思いを募らせていきました。
ビザンツ帝国の危機
人びとが巡礼への思いを強める一方で、あの ビザンツ帝国 に危機が訪れていました。以前勉強した セルジューク朝 というイスラーム王朝を覚えていますか?なんと、セルジューク朝がシリア・アナトリアに進出し、 ビザンツ帝国を圧迫したのです。 慌てたビザンツ皇帝は ローマ教皇に助けを求めました。
地図には、ビザンツ帝国がセルジューク朝の圧迫を受ける様子を示しています。セルジューク朝の圧迫により、なんと 聖地イェルサレムも占領されてしまいました。
ビザンツ皇帝の要請を受け、十字軍の派遣が決定!
追い込まれたビザンツ皇帝は、ローマ教皇に救援を要請します。要請を受けた教皇 ウルバヌス2世 は、1095年に クレルモン宗教会議 を召集。この会議で、彼は 十字軍の派遣を提唱しました。
ウルバヌス2世の呼びかけに、 西ヨーロッパ世界は大いに盛り上がります。 巡礼への期待を高めていた民衆にとっては 憧れの聖地イェルサレムを訪れるまたとないチャンス で、土地不足に悩む領主にとっては 新たな土地を獲得できるチャンス になるからです。
さまざまな利害が一致したことで、十字軍派遣は大いに盛り上がりを見せました。ここまでの流れをしっかり覚えておきましょう。
ポイントの2つ目は「巡礼の流行とビザンツ帝国の危機」です。
みなさんは、一つ前の章で勉強した「 荘園 」を覚えていますか?領主と農民が暮らし、教会が情報発信を行う「 閉ざされた世界 」でした。