5分でわかる!まさに!「中世」を象徴する出来事!
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この動画の要点まとめ
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十字軍派遣は「中世」を象徴する出来事!?
十字軍派遣は、よく 中世を象徴する出来事 だといわれます。教皇の呼びかけで始まったのにも関わらず、十字軍の参加者には、教皇から武器や食料が支給されることはありませんでした。それどころか怪我や戦死への補償も無く、完全に自己責任の戦いだったのです。
こんな悪条件にも関わらず、人びとは十字軍に進んで参戦しました。 教皇の権威が強い からこそ、人びとは教皇の言う事に従ったのです。中世ヨーロッパでは、皇帝が強い権力を持っていました。その権力の強さを象徴する出来事が、十字軍派遣というわけです。
複数回に及ぶ十字軍派遣
少し前置きが長くなりました。
いよいよ本題、 十字軍の歴史 についてお話します。
十字軍は複数回にわたって派遣されました。
その中でも、特徴的な回を紹介します。
こちらを見てください。
1096年~1099年に 第1回十字軍 派遣が行われました。参加者の士気は高く、キリスト教勢力は 聖地イェルサレムの奪還に成功 します。彼らは新たに イェルサレム王国 を建国しました。
しかし、次第にイスラーム勢力の反撃が強くなり、キリスト教勢力は劣勢に立たされていきます。こちらを見てください。
1189年~1192年の 第3回十字軍 では、イスラーム勢力が勝利します。イスラーム教国家 アイユーブ朝 の君主 サラディン が、 聖地イェルサレムを占領 する活躍を見せたのです。
敗れたキリスト教勢力は、聖地の再奪還を企図します。 イギリス王・フランス王・神聖ローマ皇帝 といった名だたる君主が、軍を率いてイェルサレムを奪い返そうとしたのです。
しかし、君主同士のいざこざなどが発生したため、結局聖地を奪回することはできませんでした。 第3回十字軍は失敗に終わったのです。
第4回十字軍以降、本来の目的は忘れ去られる…
1202年~1204年には、 教皇インノケンティウス3世 の提唱で 第4回十字軍 が派遣されました。実は、ここから十字軍派遣が おかしな方向に向かっていきます。 こちらを見てください。
第4回十字軍では、 ヴェネツィア商人 の策略で ビザンツ帝国の都コンスタンティノープルが占領されます。 十字軍は、本来味方であるはずの、同じキリスト教国家のビザンツ帝国を攻撃し、都コンスタンティノープルを占領した上に ラテン帝国 を建国したのです。
コンスタンティノープルは アジア・ヨーロッパを接続する重要な貿易都市です。 確かに、この都市を手に入れれば莫大な利益を得ることができます。お金に目がくらんだヴェネツィア商人は、十字軍をそそのかし、ビザンツ帝国を攻撃させたのです。
これはもう、 イスラーム勢力からの聖地奪回 という目的は忘れ去られていますね。参加者が私利私欲に走る、単なる 侵略戦争 となってしまったのです。
1248年開始の 第6回十字軍 と、1270年開始の 第7回十字軍 では、 フランス王ルイ9世 が主導し、 エジプト や チュニジア を攻撃しました。ただし、どちらの回も失敗に終わっています。
以上、およそ200年間に渡って行われた十字軍の歴史を紹介しました。回を追うごとに本来の目的を忘れ、結局は失敗に終わったことをおさえましょう。
諸侯と教皇の権力が低下し、国王権が上昇!
十字軍の失敗は、ヨーロッパ社会に大きな影響を与えました。こちらを見てください。
縦軸は権力、横軸は時間の経過を表したグラフです。
十字軍の失敗により、 提唱者である教皇の信頼が揺らぎます。 さらに、お金や武器を十字軍のために提供していた 諸侯 も打撃を受けます。 お金を出したのに利益を得られなかった わけですからね。
こうして、十字軍の失敗を機に 教皇と諸侯の権力が低下しました。 教皇と諸侯の権力が低下したことで、反対に 国王の権力が上昇することになります。 十字軍の失敗とその影響、しっかり覚えておきましょう。
ポイントの3つ目は「十字軍の歴史」です。
十字軍の始まり については、ポイント2で説明しましたね。イスラーム王朝の セルジューク朝 による圧迫を受けて、 ビザンツ皇帝 がローマ教皇に救援を要請。要請を受けた 教皇ウルバヌス2世 が、十字軍派遣を提唱したのでした。