高校世界史B
5分でわかる!皇帝の努力が裏目に出た!?
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この動画の要点まとめ
ポイント
皇帝の努力が裏目に出た!?
これでわかる!
ポイントの解説授業
イタリアはカトリックの中心地!
10~12世紀にかけて、神聖ローマ皇帝は イタリアを支配しようと何度も軍を派遣しました。 その理由は、イタリアが カトリックの中心地 だからです。カトリックの中心地であるイタリアを支配しようとする神聖ローマ皇帝の政策を イタリア政策 といいます。
皇帝不在のドイツ!諸侯は自立していく…
この政策には一つ問題がありました。 皇帝が神聖ローマ帝国に不在がちになってしまうことです。 皇帝が不在の神聖ローマ帝国では、各地の 諸侯 が徐々に力をつけ、自立していくことになりました。
13~14世紀には、自立化を進めた諸侯が各地で 領邦 を形成します。領邦とは、諸侯の領土が発展したもので、事実上の 独立国 のような状態でした。独立国である 領邦 に対しては 神聖ローマ帝国の影響力はほとんど及ばなかったのです。
叙任権闘争の始まり
ポイント1で学習した 帝国教会政策 を覚えていますか?この政策のポイントは 皇帝が聖職者の任免権を握る 点にありましたね。
言うことを聞かない領邦が増えていく中、皇帝は 聖職者の任免権(叙任権)だけは絶対に死守しようと考えました。
聖職者の任免権のことを「 聖職叙任権 」ともいいます。この聖職叙任権をめぐり、皇帝はある人物と争うことになりました。こちらを見てください。
1056年に即位した神聖ローマ皇帝 ハインリヒ4世 は、聖職叙任権をめぐってローマ教皇 グレゴリウス7世 と争いました。この争いを 叙任権闘争 といいます。
叙任権をめぐる争いの中で、ハインリヒ4世はグレゴリウス7世から「 破門 」されてしまいました。最終的には皇帝自ら、教皇の元を訪れて謝罪することになったのです。この出来事を カノッサの屈辱 といいます。
ポイントの2つ目は「イタリア政策と叙任権闘争」です。
神聖ローマ皇帝は、自らの権力を強めるためにさまざまな政策を行いました。その一つが イタリア政策 です。こちらを見てください。