5分でわかる!ローマ帝国の復活か!?
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この動画の要点まとめ
ポイント
ポイントの1つ目は「ビザンツ帝国の最盛期」です。
授業を始める前に、まずは「 ビザンツ帝国 」の成り立ちを復習しましょう。
ローマ帝国が東西に分裂!東側が「ビザンツ帝国」と呼ばれる
古代ローマの授業で勉強した ローマ帝国 を覚えていますか?最盛期には 全地中海世界を支配するほどの領土 を形成したローマ帝国でしたが、395年には 東西に分裂してしまいました。
分裂したうち西側の 西ローマ帝国 は、ゲルマン人傭兵隊長 オドアケル の手で476年に滅亡しました。一方で東側の 東ローマ帝国 は、西ローマ帝国滅亡後も独自の歴史を歩みました。この「東ローマ帝国」のことを別名 ビザンツ帝国 と呼ぶのです。
ユスティニアヌス大帝が領土を拡大!目指すは「ローマ帝国の復活」
それではビザンツ帝国の歴史を見ていきましょう。最初に紹介するのは ユスティニアヌス大帝 という人物です。彼は ビザンツ帝国の最大領土を築いた皇帝 として知られます。
ユスティニアヌス大帝は ローマ帝国時代の領土を復活させよう としました。こちらを見てください。
ユスティニアヌス大帝は積極的な対外遠征を行い、534年には北アフリカの ヴァンダル王国 を征服しました。ヴァンダル王国は ゲルマン人 が建設した国家です。さらに555年にはイタリア半島の 東ゴート王国 を征服しました。
さらには 西ゴート王国 からイベリア半島の南部を奪取し、東の国境線を守るため ササン朝ペルシア とも抗争しました。こうした積極的な対外政策の結果、ビザンツ帝国は最大領土を形成することになりました。
左側の地図にはビザンツ帝国の最大領土が記されています。ユスティニアヌス大帝は ローマ帝国時代の領土を復活させようとしたのです。
領土拡大だけではなく、内政も充実!
領土だけではありません。ユスティニアヌス大帝は 国内政治 においてもローマ帝国時代の制度を復活させようとしました。こちらを見てください。
ユスティニアヌス大帝は 政教一致の最高権力者 として帝国の頂点に君臨しました。政治・宗教ともに、ビザンツ帝国では彼の意見が最優先だったのです。これはローマ帝国の コンスタンティヌス帝 と同じやり方です。
534年には、法学者 トリボニアヌス らに命じて『 ローマ法大全 』を編纂させました。また、都コンスタンティノープルにあった ハギア=ソフィア聖堂 を改修しました。さらに 絹織物業 を国家の重要産業として育成したのです。
以上、ビザンツ皇帝 ユスティニアヌス大帝 の事績を紹介しました。外政面では、積極的な遠征により ビザンツ帝国の最大領土を形成 しました。内政面では、ローマ帝国時代の制度を取り入れた統治体制を築きました。外政・内政ともに「 ローマ帝国を復活させようとした 」皇帝であったことをおさえておきましょう。
中世ヨーロッパ世界の各国史、第4回。
今回は「ビザンツ帝国の歴史」についての学習です。