5分でわかる!ビザンツを苦しめた、ある勢力とは!?
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この動画の要点まとめ
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セルジューク朝の圧迫!
ビザンツ帝国を苦しめた勢力。その筆頭は、イスラーム王朝の セルジューク朝 でした。セルジューク朝は、11世紀後半にビザンツ帝国から 小アジアを奪います。 ビザンツ帝国の領土はさらに縮小してしまったのです。
このままでは帝国が滅びてしまうかもしれない。ビザンツ皇帝は、恥を忍んで ローマ教会に救援を要請します。 これが 十字軍派遣のきっかけ となりました。
プロノイア制を実施し、有力貴族に土地の管理を任せる
11世紀以降、ビザンツ帝国では プロノイア制 が実施されました。 有力貴族に国有地と住民管理を任せ、代わりに軍役奉仕を義務付ける制度です。 皇帝の軍事力を強化するための制度ではありましたが、事実上 国の領土が分割されました。 有力貴族に土地を分配し、代わりに土地を守ってもらおうとしたのです。
第4回十字軍で、ビザンツ帝国は一時滅亡!
こうした努力も空しく、ビザンツ帝国は 一時滅亡してしまいます。 1204年の 第4回十字軍 で、 ヴィネツィア商人 の企みにより、ビザンツ帝国の首都 コンスタンティノープル が占領されたのです。十字軍は、この場所に ラテン帝国 を建設しました。
コンスタンティノープルは 東西交易の中継地として栄えていました。 この場所をおさえれば、莫大な利益を得られます。お金に目がくらんだヴィネツィア商人は、イスラーム打倒という本来の目的から目をそらし、救うべき相手であるはずのビザンツ帝国へ侵攻し、その首都を占領してしまったのです。首都を占領されたことで、ビザンツ帝国は一時滅亡状態となりました。
オスマン帝国により、ついにビザンツ帝国が滅亡!
ビザンツ帝国は粘ります。一時は滅亡状態となったものの、勢力を回復してラテン帝国を打ち破り、帝国を再建したのです。しかし、最終的には イスラーム勢力の前に屈します。 1453年、オスマン帝国の メフメト2世 によって首都コンスタンティノープルは陥落。 ビザンツ帝国は滅亡し、1000年以上の歴史に幕を下ろしたのです。
ビザンツ帝国が滅亡するまでの流れ、しっかり覚えておきましょう。
ポイントの3つ目は「ビザンツ帝国の滅亡」です。
ビザンツ帝国は、国外の「ある勢力」の圧迫を受け、ついに滅亡することになります。