高校世界史B

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5分で解ける!ビザンツ帝国の歴史に関する問題

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練習

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高校世界史 中世ヨーロッパ世界の各国史4 練習 括弧空欄

解説

これでわかる!
練習の解説授業
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今回はビザンツ帝国の歴史についての学習でした。
内容をおさらいしていきましょう。

ローマ帝国の復活か!?

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まず、ビザンツ帝国の全盛期について確認します。

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分裂したローマ帝国の東半分を領土とするビザンツ帝国は、 ユスティニアヌス 大帝の時代に全盛期を迎えました。 ユスティニアヌスは ローマ帝国の復活 を目指して積極的な領土拡大を行い、 ヴァンダル王国東ゴート王国 を征服、さらにイベリア半島南部を支配し、地中海を囲む程の広大な領土を支配しました。

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さらに、法学者 トリボニアヌス らを用いて『 ローマ法大全 』を編纂させるなど、内政面でもローマ帝国の復活を目指したのです。

領土がどんどん小さくなる!

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次に、6世紀後半以降のビザンツ帝国の様子を確認します。
ユスティニアヌス大帝の死後、ビザンツ帝国は異民族の侵入に苦しみ、領土を大幅に縮小しました。このような国家の危機に対して、ビザンツ帝国は 軍管区 制や 屯田兵 制を実施し、皇帝の政治権力を一部制限してでも国防を強化しようとしました。

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また、 レオン3世 はイスラーム勢力への対応策として 聖像禁止令 を発布し、あらゆる聖画像の崇拝・製作を禁じます。しかし、聖像禁止令の発布は聖像を用いて布教していた ローマ=カトリック教会 の反発を招き、ビザンツ皇帝とカトリック教会の対立( 聖像崇拝論争 )を引き起こすことになりました。

ビザンツを苦しめた、ある勢力とは!?

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最後に、ビザンツ帝国が滅亡していく過程を確認します。
11世紀後半になると、ビザンツ帝国はイスラーム勢力の セルジューク朝 の圧迫を受け、さらに領土を縮小しました。これを受け、ビザンツ帝国は プロノイア制 を実施し、事実上の領土割譲を行って国防を強化させようとしました。

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しかし、第4回 十字軍 で都 コンスタンティノープル が占領され、ビザンツ帝国は一時滅亡に追い込まれました。その後帝国を再建するも、かつての勢いは取り戻せず、1453年にオスマン帝国の メフメト2世 によってコンスタンティノープルが陥落し、ビザンツ帝国は完全に滅亡してしまいました。

答え
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ビザンツ帝国の歴史
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