高校世界史B
5分でわかる!これまでの中国が大きく変わる!?
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この動画の要点まとめ
ポイント
これまでの中国が大きく変わる!?
これでわかる!
ポイントの解説授業
五代十国の混乱を終結させ、北宋王朝が成立
唐王朝が滅亡した後「五代」と呼ばれる王朝が順に登場しました。 後梁 、 後唐 、 後晋 、 後漢 、 後周 の5つでしたね。この混乱をしずめたのが 北宋 王朝だったのです。北宋は都を 開封 におきました。こちらを見てください。
地図には北宋の領土が示されています。そして「 契丹 」という字も書いてありますね。当時、北宋の北側には 契丹 という民族がいて、北宋にプレッシャーをかけていたのです。
領土は狭くても、商業活動は非常に活発!
今まで勉強してきた中国王朝と比べると、北宋の領土は小さめです。ただし 領土は狭くても、北宋は経済大国として繁栄していました。
その秘密は、北宋の都 開封 にあります。開封は 黄河と大運河の合流地点 に位置し、さまざまな商品や多くの人が集まる 貿易都市 だったのです。開封には南北から様々な物資が集まり、商業活動が活発に行われました。そのため、領土は小さくても、北宋は空前の 経済大国 として発展したのです。
北宋の建国者である趙匡胤は、文治主義へ移行
北宋を建国したのは 趙匡胤 (ちょうきょういん)という人物です。彼は 文治主義 への移行を行いました。文治主義とは 軍人ではない人が政治を行う 考え方のこと。趙匡胤は、唐末から五代までの混乱の要因は 軍人による政治にある と考えたのです。
趙匡胤は、科挙の最終試験に 殿試 (でんし)を追加しました。殿試の内容は 皇帝による直接面談 です。文治主義を実践するため、皇帝自ら優秀な官僚を確保しようとしたのです。また、地方の独立に歯止めをかけるべく 節度使の削減や改編 も行いました。
以上、北宋の成立についての説明でした。建国者である 趙匡胤 は、 文治主義に移行した ことをおさえておきましょう。
ポイントの3つ目は「北宋の建国」です。
今回は960年に成立した 北宋 という王朝のお話です。