5分でわかる!北宋はどんどんお金が無くなる?
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この動画の要点まとめ
ポイント
「澶淵の盟」に伴う支出と人件費の増加で、財政が大ピンチ!
ポイント1で紹介した 澶淵の盟 (せんえんのめい)を覚えていますか?澶淵の盟は、北宋が遼と結んだ 和平条約 です。 戦争を避けるため、北宋は毎年たくさんの貢物を遼に送っていました。 もちろんその代金は北宋が負担します。
澶淵の盟に伴う支出の他にも、もう一つ北宋の財政を圧迫した要因があります。前回の授業で説明したように、北宋は 文治主義 を掲げていました。文治主義とは、軍人ではない人物が政治を行うことを指します。文治主義を掲げる北宋では、多くの 官僚 が国に雇われていたのです。つまり 官僚たちの人件費 も、国家財政を圧迫していました。
王安石の財政改革
こうした状況の中、国家財政再建に立ち上がった人物がいます。その名も 王安石 です。皇帝の政治補佐役である 宰相 に任命された王安石は、 新法 と呼ばれる諸政策を実施し、財政改革を進めました。こちらを見てください。
王安石が実施した政策を6つ紹介しています。このうち 青苗法 ・ 均輸法 ・ 市易法 ・ 募役法 の4つは 経済振興政策 です。国の経済をうまくまわし、財政を潤すための政策だと思ってください。残りの 保甲法 と 保馬法 は 富国強兵政策 でした。あまりお金をかけずに 国を強くする ための政策です。
王安石の新法は、保守層と対立して挫折
王安石の政策は、国の財政再建はもちろん 貧しい人びとを助ける ことも目的としていました。新法の中には お金持ちから税を集めて、貧しい人を救おうとする政策 もあったのです。彼の政策に対しては、富裕層などから不満の声が上がりました。
北宋の官僚や学者たちは、王安石の新法に賛成する 新法党 と、反対する 旧法党 に分かれて対立するようになりました。このうち、旧法党の中心人物となったのが 司馬光 (しばこう)でした。
王安石の改革に反対する人たちは、司馬光を中心に旧法党を結成し、新法党と対立しました。旧法党と新法党は争い、最終的に勝利したのは 旧法党 側でした。結局、王安石の改革は失敗に終わってしまったのです。
ポイントの2つ目は「北宋の財政改革」です。
これまでの授業で登場した 北宋 王朝は、ある時期から 国家財政が行き詰まり、財政改革が必要な状態になってしまいました。 その理由と、財政再建のために行われた改革について説明していきます。