5分でわかる!宋はお金持ち!?宋代の繁栄!
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この動画の要点まとめ
ポイント
農業の発達
宋の時代には 農業が発達しました。 その要因の一つが 占城稲 (せんじょうとう)の伝来です。占城稲は稲の品種で、 日照りに強く、成長が早い という特徴があります。宋の時代、この占城稲が東南アジアから伝わってきたのです。
占城稲を用いた稲作は、中国南部の 長江下流域 で盛んに行われました。この地域は 蘇湖 ( 江浙 )地方と呼ばれているため「 蘇湖(江浙)熟すれば天下足る 」という言葉が生まれました。長江下流域(蘇湖地方)が穀倉生産の中心地になったことを示す言葉です。
都市(商業)の発達
中国では、唐王朝の末期から 草市 が登場しました。草市とは、城壁に囲まれた都市の外にできた、非公認の商業都市です。宋の時代には、草市の一部が 鎮 と呼ばれる小都市へと発展しました。
さらに、都市の内部では 組合 が作られるようになりました。商人の同業組織である 行 と、手工業者の組合である 作 です。彼らは同業者で組合を作り、商業活動をさらに発展させました。
宋代には、 景徳鎮 という都市が有名になりました。景徳鎮では 宋磁 と呼ばれる新たな陶磁器が生産されたのです。さらに 青磁 や 白磁 などの陶磁器は 海外にも輸出されました。
都市の発達に加えて、経済活動を支える お金 も発達しました。宋で作られた 銅銭 は、東アジア全域で使用されました。国内では 交子 と 会子 と呼ばれる 紙幣 が普及したのです。ちなみに、交子は 世界最古の紙幣 とされています。
貿易の発達
最後に 貿易の発達 に注目します。宋の時代は、特に 海上貿易 が発達しました。陸上ではなく海上貿易です。宋は 周辺民族 にプレッシャーをかけられていたため、陸上の交易ルートは安全ではありませんでした。そこで彼らは海に出たのです。
唐の時代、中国で貿易港として栄えていた都市には、海上貿易を管理するための 市舶司 という役所が作られました。この市舶司が 宋の時代に増設される ことになります。また、 広州 ・ 泉州 ・ 明州 が貿易港として発展しました。
広州は 北宋最大の貿易港 で、泉州は 南宋の時代に貿易額で広州を追い抜きました。 明州は、明王朝の時代以降は 寧波 (ニンポー)と呼ばれるようになります。日本の 遣唐船 や 勘合貿易船 が立ち寄るなど、港湾都市として栄えました。
以上、農業・都市・貿易の発達を説明しました。宋王朝は経済活動が活発で、財政が潤う…はずでした。しかし、前回の授業で説明したように、 官僚の人件費 や 澶淵の盟に伴う支出 も多く、宋の財政は苦しくなっていくのです。
ポイントの2つ目は「農業・都市・貿易の発達」です。
宋の時代、中国は 経済的な発展を遂げました。 その要因は 農業・都市・貿易の発達 にありました。この3点に注目して、宋代の経済発展について勉強していきます。