高校世界史B
5分でわかる!チンギス=ハンの野望
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この動画の要点まとめ
ポイント
チンギス=ハンの野望
これでわかる!
ポイントの解説授業
ポイントの1つ目は「チンギス=ハンの活躍」です。
彼は13世紀にモンゴル高原を支配し、一大勢力を形成しました。
「クリルタイ」でモンゴル族のリーダーに選ばれる
チンギス=ハン は、幼名を テムジン といいます。彼は1206年に開催された クリルタイ で、モンゴルのリーダーに選出されました。クリルタイとは モンゴルの最高議決機関 のことです。リーダーに選出されたテムジンは、「チンギス=ハン」を名乗るようになりました。
チンギス=ハンの野望/積極的な対外遠征の理由は?
チンギス=ハンは 積極的な対外遠征を行いました。
1214年、 金 の都である 燕京 を攻略。
1218年、モンゴル高原の遊牧国家 ナイマン を征服。
1220年には ホラズム=シャー朝 を、
1227年には 西夏 を相次いで征服しました。
以上のように、チンギス=ハンは数々の侵略戦争を行いました。しかし、 彼は闇雲に戦争を仕掛けていたわけではありません。ある「狙い」のもとで対外遠征を行ったのです。 こちらを見てください。
チンギス=ハンの遠征ルートが示されています。地図から読み取れるように、彼が征服した ナイマン や ホラズム=シャー朝 は アジアとヨーロッパを結ぶ陸上交易ルートの真ん中に位置しています。
また、海に近いホラズム=シャー朝をおさえれば、そこから 海上交易に出ることも可能になります。 チンギス=ハンの「狙い」とは 交易ネットワークの構築 だったのです!
チンギス=ハンの死後も、彼の子孫は東西に遠征を行います。モンゴルの交易圏はさらに拡大していくことになるのです。
東アジア世界の展開、第4回。
今回は「モンゴルの時代」についての学習です。前回までの授業では 北宋 や 南宋 など 中国の王朝 に注目しました。今回からは、中国の北側 モンゴル高原 に舞台を移します。