高校世界史B
5分でわかる!モンゴル帝国(大モンゴル国)の形成
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この動画の要点まとめ
ポイント
モンゴル帝国(大モンゴル国)の形成
これでわかる!
ポイントの解説授業
オゴタイ=ハンの治世/バトゥをヨーロッパへ派遣!
チンギス=ハンの死後、モンゴルのリーダーとなったのは オゴタイ=ハン でした。彼は1234年に 金 を征服し、翌年に都 カラコルム を建設しました。
1236年、オゴタイは部下の バトゥ を ヨーロッパ に派遣しました。これを バトゥの西征 と呼びます。バトゥはモンゴル特有の騎馬戦術を駆使し、破竹の勢いで連勝を重ねます。南ロシアを支配していた キエフ公国 を征服し、 ワールシュタットの戦い で ドイツ・ポーランド連合軍を撃破 。モンゴル軍の強さをヨーロッパに見せ付けました。
しかし、バトゥのヨーロッパ遠征の最中に オゴタイは病死してしまいました。 遠征は中止となり、バトゥはヨーロッパから引き返しました。
モンケ=ハンの治世/フラグとフビライを派遣!
1251年には モンケ=ハン がモンゴルのリーダーとなりました。彼には フラグ と フビライ という2人の弟がいて、その2人をともに遠征に派遣しました。
フラグは西方に遠征を行いました。1258年には アッバース朝 を征服し、都のバグダードを支配します。さらに、エジプトの マムルーク朝 へも侵攻していきました。
一方、フビライは東方へ遠征しました。雲南地方の 大理 という国や チベット を征服したのち、朝鮮半島の 高麗 という国を服属させたのです。
こうして、オゴタイ・モンケの2人のハンの時代にモンゴルは大きく領土を拡大しました。モンケ=ハンの後には、さらに広大な領土が形成されることになります。
ポイントの2つ目は「モンゴル帝国の形成」です。
ポイント1で学んだ チンギス=ハン の死後、彼の子孫は積極的に対外遠征を行い、広大な領土を形成します。その広大な領土は モンゴル帝国 と称されました。チンギス=ハンの子孫たちが、どのような動きをとったのかに注目しましょう。