5分でわかる!寛大な統治の仕組み

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この動画の要点まとめ
ポイント

ポイントの1つ目は「モンゴルの諸ハン国」です。
前回の授業で学習したように、 モンゴル人は各地に遠征を行いました。 そして征服地にモンゴル人国家( ハン国 )を建設したのです。どの場所に、どのような国家が成立したのでしょうか?
中央アジアのチャガタイ=ハン国

モンゴル人が各地に建設した国を ウルス といいます。今回は3つのウルスを紹介します。

最初に紹介するのは チャガタイ=ハン国 (1227~14世紀後半)です。この国は14世紀にイスラーム化し、14世紀半ばには 東西に分裂しました。

当時、中央アジアでは イスラーム商人 が東西交易で活躍していました。そこでチャガタイ=ハン国はイスラーム教を受け入れ、 自分たちの国でも商業活動を行ってもらおうとしたのです。
南ロシア一帯を支配したキプチャク=ハン国

続いては キプチャク=ハン国 (1243~1502)です。建国者は、オゴタイ=ハンの命で西征(ヨーロッパ遠征)を行った バトゥ です。

キプチャク=ハン国は 草原の道(シルクロード) のヨーロッパ側の出口に位置します。イスラーム商人たちも多く訪れるため、彼らが信仰する イスラーム教 を採用しました。しかし、1480年にロシアの モスクワ大公国 が独立を達成した影響で、1502年にキプチャク=ハン国は滅亡してしまいました。
イラン高原のイル=ハン国

最後は イル=ハン国 (1258~1353)です。モンケ=ハンの弟 フラグ が建国しました。イル=ハン国は西アジア地域で栄えました。

イル=ハン国は、 ガザン=ハン の時代に イスラーム教に改宗しました。 もともと西アジアではイスラーム教徒が多いことや、他のモンゴル人国家もイスラーム化していたことも、イル=ハン国がイスラーム教を受け入れることへの追い風になりました。

ガザン=ハンに登用された宰相 ラシード=アッディーン という人物は『 集史 』という歴史書を著しました。この本によって 初めてモンゴルの歴史が文字に残された といわれています。

チャガタイ=ハン国、キプチャク=ハン国、イル=ハン国。この3国はいずれも 東西交易で栄えた ため、交易の担い手である イスラーム商人 を念頭においた政策がとられました。国全体がイスラーム教を受け入れ、イスラーム商人が交易活動を行いやすい環境を整えたのです。

東アジア世界の展開、第5回。
今回は「モンゴル人の支配」について学習します。