5分でわかる!東西交流の活発化!多くの外国人が訪れる
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この動画の要点まとめ
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ヨーロッパからやってきた3人の修道士
まずは、ヨーロッパから来た 3人の修道士 を紹介します。こちらを見てください。
プラノ=カルピニ は、当時のローマ教皇の命を受けて来訪しました。モンゴルや中国への キリスト教布教 、および 偵察 が目的です。ちょうど同時期に、オゴタイ=ハンの命を受けた バトゥ が ヨーロッパ遠征 を行っており、ヨーロッパの人たちは モンゴル軍の強さを警戒していた のです。
警戒する人がいる一方で、 モンゴル軍の強さを利用しよう と考えた人もいました。 ルブルック は、フランス王 ルイ9世 の命を受けて来訪し、モンゴル帝国に 十字軍への協力を要請しました。 要請を受けた モンケ=ハン は、弟の フラグ をヨーロッパに遠征させ アッバース朝を征服した のです。
モンテ=コルヴィノ は 中国で初めてカトリックを布教した人物 として知られます。モンゴル人はキリスト教を迫害するようなことはしませんでした。キリスト教を受け入れれば、ヨーロッパから多くの人が来てくれると考え、修道士たちの布教を許したのです。
マルコ=ポーロ、旅の記録をまとめ『世界の記述』を著す
もう一人、ヨーロッパからやってきた人物を紹介します。イタリアのヴェネツィア出身の マルコ=ポーロ です。
彼は元の都 大都 を訪れ、フビライ=ハンに仕えました。帰国後には、彼の体験をもとに『 世界の記述 』(『 東方見聞録 』)という本が出版されました。
余談ですが、『世界の記述』の中で、私たちが暮らす日本は「 黄金の国ジパング 」と呼ばれ、 金や真珠であふれたお金持ち国家 として紹介されました。この記述は、ヨーロッパの人たちのアジアに対する関心を深めることにつながりました。
イスラーム世界からの来訪者!
最後に イスラーム世界から元にやってきた人物 を紹介します。その名も イブン=バットゥータ です。
彼はフビライの死後に元を訪れ、旅の記録を本にまとめました。その本は『 旅行記 』、または『 三大陸周遊記 』と呼ばれています。
以上、元を訪れた「外国人」を5人紹介しました。それぞれの名前と事績をセットで覚えておきましょう。
ポイントの2つ目は「東西世界の交流」です。
モンゴルの元は 東西世界をつなぐ交易ネットワークを整備 しました。東は中国から、西はヨーロッパまでの広い地域を接続しました。この交易ルートを通って、元には 多くの外国人が訪れることになりました。 今回は、元を訪れた外国人に注目します。