高校世界史B
5分でわかる!北から、南から…明を襲う外部勢力!
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この動画の要点まとめ
ポイント
北から、南から…明を襲う外部勢力!
これでわかる!
ポイントの解説授業
明を苦しめた「北虜南倭」
明を苦しめたモンゴル系民族は 中国の北側 に位置します。そして倭寇たちは 中国の東南海岸 を荒らしまわっていました。北からはモンゴル、南からは倭寇が明を苦しめたのです。この状況を「 北虜南倭 (ほくりょなんわ)」と表現します。
北虜|オイラトやタタールが攻めてきた!
まずは「北虜」について詳しく説明します。明に侵入したモンゴル系民族として有名なのは、西北モンゴリアの オイラト と、東モンゴリアの タタール でした。こちらを見てください。
明に侵入したオイラトは、1449年に第6代 正統帝 を捕まえてしまいました。この事件を 土木の変 といいます。オイラトは エセン=ハン という首長のもと、最盛期を迎えました。
東モンゴリアの タタール という民族も明を苦しめました。彼らは明に侵入し、 アルタン=ハン という指導者のもと、永楽帝が遷都した 北京 を包囲したのです。
オイラト・タタールという2つの民族に苦しめられた明は、防衛策として 万里の長城 を修築しました。長城は防衛手段としての役割を果たしましたが、その修築費用は明の財政を圧迫することになりました。
南倭|倭寇と呼ばれる海賊たちが侵入!
以上が「北虜」の説明でした。続いて「 南倭 」について詳しく説明します。
明は14世紀の 前期倭寇 と、16世紀の 後期倭寇 に苦しめられました。倭寇とは、朝鮮半島から中国東南沿岸にかけて活動した 海賊 のことです。前期倭寇は 日本人 が、後期倭寇は 中国人 が倭寇の中心メンバーでした。
以上、明を苦しめた「北虜南倭」について説明しました。北虜南倭の対応に追われた明は、兵士の動員や長城修築を行いましたが、その結果 財政難に陥ることになりました。
ポイントの2つ目は「明を苦しめた外部勢力」です。
ポイント1では、明の全盛期を築いた 永楽帝 を紹介しました。永楽帝の死後、明は外部勢力の圧力に苦しめられます。 モンゴル系民族 や、 倭寇 と呼ばれる海賊の侵入を受けたのです。
今回は、これらの外部勢力に苦しむ明の様子を学習します。