5分でわかる!皇帝の力は弱くなるのに明は長生き!
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この動画の要点まとめ
ポイント
ポイントの1つ目は「明が滅亡するまでの様子」です。前回の授業で、永楽帝の死後に明を苦しめた「 北虜南倭 」について学習しました。北の モンゴル勢力 と、南の 倭寇 のことでしたね。北虜南倭に苦しむ明では、次第に 皇帝の権力が衰退していきました。
ただ、皇帝の権力が衰退していくにも関わらず、明はすぐには滅びませんでした。ポイント1では、滅亡に向かっていくまでの明の様子を学習します。
明の財政改革/海外から銀が流入
明王朝が長く続いた理由の一つに 貿易活動の活発化 が挙げられます。こちらを見てください。
当時、ヨーロッパでは 大航海時代 を迎えており、世界各地の商人が貿易のために明を訪れていました。そこで、明に 日本銀 や メキシコ銀 が流入したのです。
たくさんの銀が流入したことで、明では 税金が銀で支払われるようになりました。 16世紀後半以降、 一条鞭法 (いちじょうべんぽう)が普及したのです。これは 土地税と人頭税を銀で納める ことを定めた法律です。
外国から銀が大量に流入し、税金も銀で納める制度が整えられたため、皇帝の力が弱いにも関わらず明は発展し、国が長く存続したのです。
万暦帝の時代/張居正が財政改革に成功
続いて、明の晩年に即位した有名な皇帝を紹介します。第14代皇帝 万暦帝 (ばんれきてい)です。彼の時代には 張居正 (ちょうきょせい)という政治家が財政再建などの改革を進めました。彼の改革は成功し、明の財政は安定しました。
しかし、張居正の死後は 政治争い が発生しました。 東林派 と 非東林派 の2つの派閥が、明の政治をめぐって争ったのです。東林派は、 東林書院 という学校出身の官僚で構成されていました。一方の非東林派は、 宦官 と結託して政治争いを行いました。
ついに明が滅亡!豊臣秀吉が襲来する
東林派と非東林派の争いで疲弊する明をさらに苦しめたのが、16世紀末に2回行われた 豊臣秀吉の朝鮮侵略 です。
秀吉が直接攻撃したのは、明ではなく朝鮮です。しかし、明は朝鮮を助けるために 援軍を派遣するなどの援助を行いました。この援助が大きな経済的負担となったのです。
最終的に、明は 李自成の乱 の勃発を受けて滅亡します。農民の支持を受けた 李自成 が、1644年に明の都 北京 を攻略したことで、明は滅亡してしまったのです。
以上、明の晩年と滅亡までの様子を紹介しました。外国からたくさんの銀が流入しましたが、政治争いが発生し、最終的には農民反乱によって滅亡してしまいます。この流れをしっかり覚えておきましょう。
明・清の時代、第3回。
今回は「晩年の明と清の中国侵入」についての学習です。