5分でわかる!中国を苦しめた最強の民族!
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この動画の要点まとめ
ポイント
ポイントの1つ目は「匈奴の活躍」です。
中国周辺民族の中で、モンゴル高原の 匈奴 (きょうど)に注目します。中国の歴史書にたびたび登場する匈奴は 長期にわたって中国を苦しめました。 彼らはいったいどんな民族だったのでしょうか?
匈奴ってどんな民族?
匈奴は 騎馬遊牧民 に分類されます。彼らは馬に乗って狩りをしたり、乳製品を中国へ輸出したりして暮らしていました。戦闘の際には馬に乗って弓で相手を攻撃するなど 非常に機動性の高い軍事力を誇っていました。
ちなみに、この戦術は匈奴のオリジナルではありません。彼らの生活文化は スキタイ の影響を受けています。スキタイは前6~前3世紀に 南ロシアの草原地帯 を中心に活動した 騎馬遊牧民 です。スキタイの騎馬遊牧文化は 後世に大きな影響を与えました。
匈奴の全盛期
匈奴は前3~2世紀頃に全盛期を迎えます。そのときのリーダーが 冒頓単于 (ぼくとつぜんう)という人物です。ちなみに「単于」という言葉は「君主」という意味を持っています。匈奴の最盛期を築いた冒頓単于は、前200年には前漢の建国者 高祖 を破りました。
冒頓単于の時代に最盛期を築いた匈奴でしたが、彼の死後は徐々に弱体化し、前漢の 武帝 に敗れたことで衰退が決定的となりました。
匈奴の分裂
衰退期を迎えた匈奴は、前1世紀に 東西に分裂 してしまいました。内モンゴルの 東匈奴 と、天山山脈の 西匈奴 に分かれたのです。東匈奴は 漢 に服属することで生き延びましたが、西匈奴は 漢に挑んで敗北し、滅亡してしまいました。
匈奴の衰退はまだまだ止まりません。後1世紀には、東匈奴が 南北に分裂 してしまったのです。南北に分かれた匈奴のうち、 南匈奴 は後漢に服属します。
北匈奴については、詳細は明らかになっていませんが、後漢の攻撃を受けてヨーロッパ方面に逃走したといわれています。一説では、彼らの子孫が ゲルマン人大移動の原因となったフン人 だとされているのです。
以上、匈奴の歴史を紹介しました。最盛期を築いた後、東西・南北に分裂するまでの流れをしっかり覚えておきましょう。
中国周辺地域史、第1回。
今回は「モンゴル高原・内陸アジア」の歴史です。