5分でわかる!ティムール朝の野望!
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この動画の要点まとめ
ポイント
ポイントの1つ目は「ティムール朝の領土拡大」です。
モンゴル帝国が衰退した後のイラン世界では ティムール朝 という王朝が繁栄しました。建国者の名前は ティムール です。彼はいったいどんな人物だったのでしょうか?
モンゴル出身のティムールは、ある「野望」を抱いていた!
第14章「東アジア世界の展開」の5回目の授業で モンゴル人が各地に建国した国家 を紹介しました。その中の一つに チャガタイ=ハン国 があります。
チャガタイ=ハン国は 14世紀に東西に分裂しました。 ティムールは、分裂した 西チャガタイ=ハン国 から自立して、自身の王朝であるティムール朝を創始したのです。彼は中央アジアの中心都市 サマルカンド に都を置きました。
ティムールはある 野望 を抱いていました。それは モンゴル帝国のような陸・海の広大な商業ネットワークを再現することでした。 その野望を達成するため、彼は 積極的に対外遠征を行ったのです。
次々に領土を拡大!
ティムールは イル=ハン国 の領土を征服しイラン・イラクを支配します。さらに キプチャク=ハン国 を攻撃し、南ロシアにも領土を広げます。
その後 トゥグルク朝 を征服し西北インドを支配します。1402年には アンカラの戦い で オスマン皇帝を捕縛しました。
このように、ティムールの遠征は連戦連勝でした。いったいどこまで領土を拡大したのか、地図で確認しましょう。
小さく〇で囲われているのが以前の領土、より広い範囲で囲われているのが拡大後の領土です。ティムールは、中国とヨーロッパを結ぶ 草原の道 と、中国と西アジアを結ぶ シルクロード の双方について、ヨーロッパ方面への出口を確保したのです。
その後ティムールは東側への交易ルートを確保すべく 中国への遠征 を計画します。しかし、彼は計画途中で病死してしまいました。
以上のように、モンゴル帝国の東西交易ネットワークを再現するというティムールの野望は志半ばで途絶えてしまいました。次のポイントでは ティムール死後の世界 について学習します。
イスラーム世界の繁栄、第1回。
今回は「イラン世界の動き」に注目します。