5分でわかる!イラン世界の繁栄
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この動画の要点まとめ
ポイント
ポイント3では、このサファヴィー朝に注目します。まずは領土を確認しましょう。こちらを見てください。
対外遠征を繰り返したティムール朝と比べると、中央アジア付近の領土などが縮小しています。 遊牧ウズベク による侵入がその理由です。
神秘主義教団の指導者、イスマーイールが建国
サファヴィー朝を創始したのは、 神秘主義教団 の指導者だった イスマーイール という人物です。彼は都を タブリーズ に置きました。
神秘主義教団とは、 神との一体化 を目指し、その方法を民衆に布教する組織です。イスマーイールはその カリスマ的な指導者 でした。
宗教で国を統一しよう!
イスマーイールは考えました。ティムール朝は異民族の侵入で滅んでしまった。もしまた侵入されたら、サファヴィー朝は大丈夫なのかと。
そこで彼は 国民の仲間意識を高めよう としました。具体的には、イスラーム教 シーア派 の一派である 十二イマーム派 を国教化したのです。同じ宗教を信仰させることで、国民を団結させようという狙いがありました。
さらに、イランの伝統的な王号 シャー を名乗ることで、サファヴィー朝が正統なイラン王朝であることをアピールしました。
サファヴィー朝が国教としたことで、この地域では シーア派 の信徒が圧倒的多数を占めるようになりました。そのため 現在のイランでもシーア派が多数派を占めているのです。
サファヴィー朝の全盛期!アッバース1世
サファヴィー朝は アッバース1世 のもとで全盛期を迎えました。彼は1597年に イスファハーン に都を移します。イスファハーンは 東西交易の中継地 として栄え、その繁栄は「 世界の半分 」と称されるほどでした。
アッバース1世は、イスファハーンに モスク を建立しました。モスクとは イスラーム教の礼拝施設 のことでしたね。さらに1622年では、ペルシャ湾の出入り口に位置する ホルムズ島 をポルトガルから奪回し、海上交易ルートを確保しました。
以上、サファヴィー朝の歴史を紹介しました。ティムール朝の滅亡後、サファヴィー朝のもとでイラン世界が繁栄したことをおさえておきましょう。
ポイントの3つ目は「サファヴィー朝の繁栄」です。
1507年に ティムール朝が滅亡 すると、イラン世界では サファヴィー朝 が台頭しました。