高校世界史B
5分でわかる!なぜバルカン半島に進出する?
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この動画の要点まとめ
ポイント
なぜバルカン半島に進出する?
これでわかる!
ポイントの解説授業
オスマン帝国はもともと、アナトリアの小国だった
オスマン帝国の建国者を オスマン1世 といいます。彼は アナトリア (小アジア)西部で自立し、帝国を創始しました。その後バルカン半島へと進出したのです。
バルカン半島に進出した理由は?
オスマン帝国はなぜバルカン半島に進出したのでしょうか?それは バルカン半島が非イスラーム教の地域だったから です。
イスラーム教徒にとって、異教徒の土地を征服することは「 聖戦 (ジハード)」であり、兵士たちの士気も高くなります。また、征服した異教徒に人頭税( ジズヤ )を払わせれば、オスマン帝国の財政も潤います。対外進出の大義名分と、税収の確保。この2点に都合が良かったのがバルカン半島への進出だったのです。
ムラト1世、都をアドリアノープル(エディルネ)に移す
オスマン1世の後、1359年に ムラト1世 が即位しました。こちらを見てください。
彼はバルカン半島東南の アドリアノープル を攻め エディルネ と名前を変えて都としました。1389年には コソヴォの戦い でスラブ勢力を撃破し、オスマン帝国の領土拡大に成功します。
バヤジット1世、アンカラの戦いでティムールに敗北
ムラト1世の後は バヤジット1世 が即位しました。こちらを見てください。
バヤジット1世は ハンガリー王 を破り ドナウ川下流域 を支配しました。しかし東方から ティムール に奇襲され、バヤジット1世は捕虜としてつかまってしまいます。1402年に起きたこの事件を アンカラの戦い といいます。
オスマン帝国は西側(オスマン帝国の方向)ばかりに目を向けていましたが、突如東方からやってきたティムールに敗れてしまいます。バヤジット1世がつかまったことで、一時期オスマン帝国は皇帝不在のピンチを迎えますが、後に登場する新たな皇帝の活躍で、なんとか体制を立て直すことができました。
以上、オスマン帝国の領土拡大について勉強しました。次のポイントでは、オスマン帝国の 転換期 に注目します。
ポイントの2つ目は「オスマン帝国の領土拡大」です。
オスマン帝国は 異教徒が多く暮らすバルカン半島 へ積極的に遠征しました。いったいなぜでしょうか?今回はオスマン帝国の領土拡大に注目します。