高校世界史B

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5分でわかる!もう領土を広げなくてもいい!

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この動画の要点まとめ

ポイント

もう領土を広げなくてもいい!

高校世界史 イスラーム世界の繁栄2 ポ3 答え全部

これでわかる!
ポイントの解説授業
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ポイントの3つ目は「オスマン帝国の3人の皇帝」です。
ポイント1で紹介したように、オスマン帝国は軍人や官僚へのお給料として 土地とその徴税権 を与えていました。給料を払い続けるためには 土地を拡大し続ける必要があります。 そのため、ポイント2で紹介したように 対外遠征 を行ったのです。

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しかし、ある時期にオスマン帝国は 転換期 を迎えることになります。 無理に領土を拡大する必要がなくなったのです。 いったいどういうことでしょうか?今回は 3人の皇帝 に注目しながら、オスマン帝国の「転換期」について説明します。

メフメト2世の時代

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1人目の皇帝が メフメト2世 です。彼は1453年に ビザンツ帝国を征服 し、 コンスタンティノープル をオスマン帝国の都としました。

ポ3/メフメト2世の項目

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コンスタンティノープルは 東西交易の重要な中継地点 です。交易都市としてお金や商品がたくさん集まってきました。この都市をおさえたことで、オスマン帝国は 侵略戦争をしなくても利益を得ることができるようになった のです。次第にオスマン帝国は 交易中心の国家へと変わっていきました。

セリム1世の時代

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メフメト2世の後、1512年に セリム1世 が即位しました。こちらを見てください。

ポ3/セリム1世の項目

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彼は1517年にエジプトの マムルーク朝 を征服し メッカメディナ の支配権を獲得。さらに イスラーム教スンナ派盟主 としての地位を確立したのです。

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とはいえ、セリム1世は宗教的な地位を欲したわけではありません。マムルーク朝を征服したのは 交易ルート確保のためです。 こちらを見てください。

ポ3の地図の表示/書き込みあり

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マムルーク朝は 地中海 沿岸に位置しています。セリム1世は 地中海を通る交易ルートを確保するため にマムルーク朝を征服したのです。

スレイマン1世の時代

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最後に紹介する皇帝が スレイマン1世 です。オスマン帝国は 彼の統治下で最盛期を迎えました。 1526年には ハンガリー を征服。1529年には 第1次ウィーン包囲 を行い 神聖ローマ帝国 の皇帝 カール5世 と衝突しました。

ポ3/スレイマン1世の見出し+下部テキスト2行/~ウィーン包囲(1529)まで

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さらに、1538年の プレヴェザの海戦 では スペイン・ヴェネツィアなどの連合艦隊 を破りました。こうして、スレイマン1世は 地中海の制海権を握ったのです。

image05の続き3行/プレヴェザ海戦の説明

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このように、スレイマン1世の時代に オスマン帝国は最盛期を迎えました。 その勢いを象徴する建築物が スレイマン=モスク です。こちらを見てください。

スレイマン=モスクの写真+キャプション/可能ならキャプションを写真の下部へ

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1557年に完成したスレイマン=モスクは、現在でもイスタンブルに残されています。

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以上、オスマン帝国の転換期と3人の皇帝を紹介しました。 メフメト2世セリム1世スレイマン1世 。彼らの時代に、オスマン帝国は 商業国家 へと変わったことを覚えておきましょう。

この授業の先生

新里 将平 先生

「世界史を楽しく,わかりやすく教えたい!」をモットーにストーリー性のある授業展開で、歴史上の人物や国が当時何を考え、どう動いたかを感情を込めて伝える。

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