5分でわかる!もう領土を広げなくてもいい!
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この動画の要点まとめ
ポイント
しかし、ある時期にオスマン帝国は 転換期 を迎えることになります。 無理に領土を拡大する必要がなくなったのです。 いったいどういうことでしょうか?今回は 3人の皇帝 に注目しながら、オスマン帝国の「転換期」について説明します。
メフメト2世の時代
1人目の皇帝が メフメト2世 です。彼は1453年に ビザンツ帝国を征服 し、 コンスタンティノープル をオスマン帝国の都としました。
コンスタンティノープルは 東西交易の重要な中継地点 です。交易都市としてお金や商品がたくさん集まってきました。この都市をおさえたことで、オスマン帝国は 侵略戦争をしなくても利益を得ることができるようになった のです。次第にオスマン帝国は 交易中心の国家へと変わっていきました。
セリム1世の時代
メフメト2世の後、1512年に セリム1世 が即位しました。こちらを見てください。
彼は1517年にエジプトの マムルーク朝 を征服し メッカ ・ メディナ の支配権を獲得。さらに イスラーム教スンナ派盟主 としての地位を確立したのです。
とはいえ、セリム1世は宗教的な地位を欲したわけではありません。マムルーク朝を征服したのは 交易ルート確保のためです。 こちらを見てください。
マムルーク朝は 地中海 沿岸に位置しています。セリム1世は 地中海を通る交易ルートを確保するため にマムルーク朝を征服したのです。
スレイマン1世の時代
最後に紹介する皇帝が スレイマン1世 です。オスマン帝国は 彼の統治下で最盛期を迎えました。 1526年には ハンガリー を征服。1529年には 第1次ウィーン包囲 を行い 神聖ローマ帝国 の皇帝 カール5世 と衝突しました。
さらに、1538年の プレヴェザの海戦 では スペイン・ヴェネツィアなどの連合艦隊 を破りました。こうして、スレイマン1世は 地中海の制海権を握ったのです。
このように、スレイマン1世の時代に オスマン帝国は最盛期を迎えました。 その勢いを象徴する建築物が スレイマン=モスク です。こちらを見てください。
1557年に完成したスレイマン=モスクは、現在でもイスタンブルに残されています。
以上、オスマン帝国の転換期と3人の皇帝を紹介しました。 メフメト2世 、 セリム1世 、 スレイマン1世 。彼らの時代に、オスマン帝国は 商業国家 へと変わったことを覚えておきましょう。
ポイントの3つ目は「オスマン帝国の3人の皇帝」です。
ポイント1で紹介したように、オスマン帝国は軍人や官僚へのお給料として 土地とその徴税権 を与えていました。給料を払い続けるためには 土地を拡大し続ける必要があります。 そのため、ポイント2で紹介したように 対外遠征 を行ったのです。