5分でわかる!宗教改革をみる視点
- ポイント
この動画の要点まとめ
ポイント
第18章では「 ルネサンスと大航海時代 」について勉強しました。 ルネサンス とは、教会中心の考え方や神を中心とする世界観から離れ、 人間中心の価値観・個人の能力や才能を認めていこうとする運動 でした。この運動が発展したことで、人びとの中に 教会を批判する気持ちが芽生えることになりました。
大航海時代 には多くの船乗りが航海に出かけました。すると、これまで教会が言っていたことがウソだと分かったのです。教会は「大地は平らで、果てまで行くと地獄に落ちる」と唱えていましたが、航海者たちによって 地球は丸い ことが証明されました。
ルネサンス期に教会を批判する気持ちが人びとに芽生え、大航海時代には教会の「嘘」が暴かれてしまいました。こうした背景から16世紀に発生した キリスト教の改革運動 のことを 宗教改革 と呼ぶのです。
第1回「ドイツ宗教改革の始まり」
宗教改革は ドイツ (当時の 神聖ローマ帝国 )で始まり、その後スイスやイギリスへと影響を与えていきました。
当時、ローマ教会は 免罪符 (めんざいふ)を販売していました。免罪符を購入すれば罪が許され、天国へ行けるとされました。実は、ローマ教会は お金集めのために免罪符を販売していたのです。
お金儲けのために免罪符を販売する教会。これに反発したのがドイツの ルター という人物です。彼がローマ教会を批判したことがきっかけとなり、各地で宗教改革が始まりました。
ルターの宗教改革は多くの人を巻き込み、結果的にドイツは 内乱状態 になってしまいました。以上、ルターの改革からドイツの内乱までを第1回の授業で扱います。
第2回「ドイツ宗教改革の帰結」
内乱状態のドイツに対し、 フランス や オスマン帝国 が圧力をかけてきました。このままでは諸外国に攻め込まれ、敗北してしまうかもしれない。そう考えたドイツ皇帝は、一時 ルター派を容認しました。
ところがこの後、外国からのプレッシャーが弱まると、皇帝は手のひらを返してルター派を再禁止し、弾圧を行いました。外部の敵を追い払うことは出来ましたが、ルター派をめぐって国内は分裂状態になってしまったのです。
第2回の授業では、ドイツを取り巻く国際情勢の変化、そして宗教をめぐる国内対立の結末を見ていきます。
第3回「スイス・イギリス宗教改革」
ドイツの宗教改革に影響を受け スイス や イギリス でも改革が始まりました。
スイスでは カルヴァン という人物が改革を行いました。彼はキリスト教で初めて 蓄財を承認 するなど、大航海時代を迎えて商業的な発展を遂げたヨーロッパで、人びとに受け入れられやすい思想を唱えました。
一方イギリスでは 国王が中心となって宗教改革を行いました。 そのため、改革は 国王にとって都合の良い 内容となったのです。以上、第3回ではスイスとイギリスにおける宗教改革を紹介します。
第4回「対抗宗教改革と宗教戦争」
第4回では、いよいよカトリック側が反撃にでます。宗教改革に対し、ローマ=カトリック教会側も改革運動を行ったのです。これを 対抗宗教改革 といいます。
宗教改革の動きが浸透したヨーロッパで、カトリック勢力はどう反撃したのでしょうか?第4回の授業で詳しくお話します。
宗教改革の動きの中で登場した、カトリックを批判する宗派を プロテスタント といいます。プロテスタントは、イギリスやフランス・ドイツ(神聖ローマ帝国)などの一部地域で勢力を拡大しました。
プロテスタントにとって苦痛なのは、他の宗派の信仰を強制されることです。例えば、当時スペイン領だった ネーデルラント には多数のプロテスタントがいたのですが、16世紀後半のスペイン王 フェリペ2世 はこの地に カトリック信仰を強制したのです。 ネーデルラントの人びとは反発し、1568年に オランダ独立戦争 を起こしました。
このように、宗教をめぐって発生した戦争を 宗教戦争 といいます。以上、第4回では「対抗宗教改革」に加えて「宗教戦争」についても学習します。
第5回「フランス・ドイツの宗教戦争」
宗教戦争は フランス や ドイツ (神聖ローマ帝国)でも発生しました。国王や有力者による信仰の強制に対し、人びとが反対運動を起こしたのです。
第5回の授業では、フランスとドイツの宗教戦争を取り扱います。戦争の内容と、戦争が国に与えた影響に注目してください。
以上、全5回を通して、ヨーロッパの宗教改革について説明します。これから一緒に勉強していきましょう!
第19章「宗教改革」のガイダンス授業です。
この章では計5回にわたって、ヨーロッパでおきた 宗教改革 について勉強します。