5分でわかる!ルターの怒り!カトリック教会の腐敗…
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この動画の要点まとめ
ポイント
ポイントの1つ目は、「ルターの宗教改革」です。
今回は ドイツ宗教改革 について勉強します。
宗教改革とはいったい何でしょうか?
どのような経緯で始まったのでしょうか?
まずは当時のドイツの様子を説明します。
こちらを見てください。
地図には 神聖ローマ帝国 の領土が示されています。当時のドイツは神聖ローマ帝国と呼ばれていました。
ローマ教皇レオ10世、贖宥状(免罪符)を販売
時のローマ教皇 レオ10世 は、 サン=ピエトロ大聖堂 を改築しようとしました。これは イタリア=ルネサンス の授業でもお話した内容です。
改築には多くのお金がかかるため、レオ10世は悩みました。そこで彼は資金を確保するために 贖宥状(免罪符) の販売を許可したのです。贖宥状(しょくゆうじょう)とは 購入することで現世での罪が許され、天国に行けるというお札 のことです。
贖宥状はドイツでたくさん販売されました。数あるヨーロッパの国の中でも、どうしてドイツなのでしょうか?
当時のドイツは「ローマの牝牛(めうし)」!?
当時のドイツは皇帝の権力が強くありませんでした。そのため、ローマ教皇はドイツで好き勝手にふるまうことができたのです。教皇は贖宥状を販売し ドイツの農民からお金を巻き上げようとしました。
このように、ドイツはローマ教会にお金を搾り取られていたのです。この状況を牛に例えて、ドイツは「 ローマの牝牛 」と言われました。
マルティン=ルターの改革!聖書主義と信仰義認説を主張
このような状況の中、いよいよ宗教改革が始まります。ローマ教皇による贖宥状の販売に、ある人物が反発したのです。それが マルティン=ルター です。
彼はキリスト教の教典である 聖書 を重視しました。聖書こそが絶対であり、その教えに反する行動(教皇による贖宥状販売)や聖職者の権威を否定しました。このような考え方を 聖書主義 といいます。
また、ルターは 信仰義認説 を唱えました。贖宥状を買うことなどではなく、 神を信じることによってのみ人は救われる という考え方です。彼はこれらの主張をまとめた「 九十五カ条の論題 」という文書を発表しました。
ついに教皇がルターを破門!
堂々と教皇を批判したルターは、当然ローマ教会に目をつけられます。時のローマ教皇レオ10世は、1521年に ルターを破門しました。
「破門」とはすなわち キリスト教社会からの追放 を意味します。キリスト教徒にとって、これほど恐ろしいことはありませんでした。
しかしルターは破門をものともせず、自分の考えを主張し続けました。彼の主張をめぐり、ドイツではこの後 大きな混乱が起こることになります。 ポイント2では、ルターの活動が国内で発展していく様子を見ていきましょう。
宗教改革の1回目。
今回は「ドイツ宗教改革の始まり」について学習します。