5分でわかる!国内の諸侯を巻き込む一大変革へ
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この動画の要点まとめ
ポイント
皇帝とも対立し、ついにルターは国外追放!
ルターと教会の対立に、神聖ローマ皇帝 カール5世 が仲裁に入りました。いったいなぜ、教皇とルターの対立に皇帝が割り込んできたのでしょう?
神聖ローマ皇帝は「地上における神の代理人」とされていました。カトリックが批判されることは 皇帝が批判されることと同義だったのです。
1521年、カール5世は ヴォルムス帝国議会 を開催し、ルターを召喚して自説の撤回を求めました。しかしルターはこれを拒否したため、カール5世は ルターを神聖ローマ帝国から追放したのです。
ザクセン選帝侯フリードリヒ、ルターを保護!
帝国を追い出されたルターでしたが、幸運にもある人物に保護されます。 ザクセン選帝侯フリードリヒ です。彼は北ドイツ中部ザクセン地方の有力な諸侯でした。
フリードリヒはカール5世と対立していました。権威を振りかざして威張り散らす皇帝をよく思っていなかったのです。自分と同じく皇帝と対立したルターだからこそ、フリードリヒは彼を保護しました。
フリードリヒの保護のもと、ルターは 『新約聖書』のドイツ語訳 を完成させました。聖書はもともと ラテン語 で書かれています。ドイツ語に訳されたことで、ドイツの人々が聖書を読めるようになりました。
ドイツ語に訳された聖書は、 活版印刷 の技術のおかげで国内に普及しました。活版印刷は、ルネサンス期に グーテンベルク が改良した技術です。羅針盤・火薬・活版印刷の三つを合わせて ルネサンス三大発明 と呼びます。
ルター派の登場!国内のキリスト教徒は二分化
ルターのおかげでドイツに聖書が普及しました。すると、ルターの考えに賛同する人も多く現れたのです。「教会の行動は確かに聖書の教えに反している!」と実感したのでしょう。
こうして、キリスト教徒の中でもルターを支持する派閥が誕生しました。 ルター派 の誕生です。彼らは聖書を唯一の権威とし、反教皇・反皇帝を掲げる諸侯から支持されました。
こうして、ドイツのキリスト教徒は カトリック派 と ルター派 に二分されました。両者は互いの主張を掲げて争い、ドイツの混乱はどんどん大きくなっていったのです。
農民の反乱!ドイツ農民戦争
混乱のなか、1524年に ドイツ農民戦争 が勃発しました。農民たちが 農奴制 や 十分の一税 などの廃止を訴えて暴動を起こしたのです。ちなみに、農民軍を指導したのは ミュンツアー という人物でした。
この戦争に際し、ルターは当初農民に同情的でした。しかし、彼の態度は徐々に変わっていきます。
当初は農民に同情的だったルター。しかし彼は ザクセン選帝侯の保護を受けている 立場なので、諸侯に対して反乱を起こす農民をうかつに支援することはできませんでした。
ドイツ農民戦争は1525年に終結しました。ルターは諸侯の間では人気を増していきましたが、先ほどの事情もあり、農民からの支持は少なくなっていきます。
ドイツ国内の混乱に関して、 農民に対するルターの態度の変化 があったことをおさえておきましょう。
ポイントの2つ目は、「ドイツ国内の混乱」です。
ポイント1で確認したように、 ルター は徹底して教会と対立する姿勢を見せました。彼と教会の対立はやがてドイツ国内の諸侯を巻き込み、大きな混乱を生むことになったのです。