5分でわかる!ドイツを取り巻く国際情勢の変化!

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この動画の要点まとめ
ポイント

ポイントの1つ目は、「ドイツをとりまく国際情勢」です。
前回の授業では 宗教改革によって混乱するドイツの様子 を勉強しました。今回はドイツを取り巻く ヨーロッパの国際情勢 に注目して授業を進めます。なんと、混乱するドイツに対して 2つの国が圧力をかけてきたのです。
フランスとの対立

神聖ローマ帝国時代のドイツに圧力をかけた2つの国。そのうちの1つは フランス です。ドイツとフランスは イタリア戦争 で衝突し、イタリアにおける領土を争いました。

イタリア戦争は1494年から1559年まで続きました。なかでも独仏の対立が激しかったのが、神聖ローマ皇帝 カール5世 と仏王 フランソワ1世 の時代です。

カール5世の軍隊は ローマ に侵攻したのですが、これが原因で イタリア=ルネサンスが衰退した といわれています。
オスマン帝国の圧力

ドイツに圧力をかけたもう1つの国は オスマン帝国 です。こちらを見てください。

オスマン帝国の最盛期を築いた君主を スレイマン1世 といいます。彼はドイツのすぐ目の前に位置する ハンガリー を併合しました。 オスマン帝国の勢力がドイツに急接近した のです。
カール5世、ルター派を利用して国内を統一!

このように、ドイツはフランスとオスマン帝国からの圧迫に苦しみました。そのうえ、ドイツ国内は未だに混乱状態だったのです。

この状況を打開するため、皇帝 カール5世 はある決断を下します。こちらを見てください。

国内の混乱を収拾するためにカール5世がとった手段。それは ルター派を容認 することでした。

ドイツのキリスト教徒はカトリックとルター派に分かれて争っていましたが、ルター派を認めることで対立を終わらせ、国内をまとめようとしたのです。

1529年には、オスマン帝国のスレイマン1世が 第1次ウィーン包囲 を行いました。オスマン帝国が本格的に圧力をかけてきたのです。しかし、ルター派を容認することで団結を強めたドイツは、オスマン帝国の撃退に成功しました。
一度は認めたルター派を再び禁止!

強国オスマン帝国を撃退し、国もひとつにまとまった。これで一件落着かと思われましたが…カール5世はこの後、驚くべき行動に出ました。こちらを見てください。

1529年、カール5世はなんと ルター派を再禁止し、弾圧を行ったのです。 当然ルター派の人びとは反発し、抗議文を提出しました。

この出来事から、ルター派は プロテスタント (英語で「 抗議する者 」の意)と呼ばれるようになりました。プロテスタントとカトリックは、この後も対立を繰り広げていきました。

以上、ドイツをとりまく国際情勢と、カール5世の政策を紹介しました。ドイツ国内外での流れをしっかりとおさえておきましょう。

宗教改革の2回目。
今回は「ドイツ宗教改革の帰結」について学習します。