5分でわかる!ついに皇帝が妥協した!宗教和議の締結
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この動画の要点まとめ
ポイント
ルター派の諸侯や都市が結束し、シュマルカルデン同盟を結成
ポイント1で学んだ カール5世 の政策を思い出してください。戦争のときだけ都合よく ルター派を公認 したかと思えば、戦争が落ち着いたと見るや 再度禁止し、弾圧しましたよね。
こうした政策に反発するかたちで、ルター派の諸侯や都市は団結しました。1530年、 シュマルカルデン同盟 の結成です。
シュマルカルデン同盟は皇帝と対立し、1546年には シュマルカルデン戦争 という形で武力衝突もしました。しかし、このままでは国内がまた混乱状態になってしまいます。そこでルター派と皇帝との間で妥協案が模索されたのです。
アウクスブルクの宗教和議
1555年、神聖ローマ皇帝の主催で帝国議会が開催されました。議会での話し合いの結果、 アウクスブルクの宗教和議 が締結されたのです。
これにより、ドイツの諸侯はカトリック派かルター派を自由に選べるようになりました。つまり ルター派が公認されたのです。
ルター派が公認されたといっても注意点があります。ルター派かカトリック派かの選択権は 諸侯にしか認められていませんでした。 一般の人々は、その地域を治める諸侯の選択に従う必要があったのです。つまり 個人の信仰の自由は認められていませんでした。
さらに、アウグスブルクの宗教和議では カルヴァン派 の信仰も認められていませんでした。カルヴァン派については、次の授業で詳しく説明します。
宗教和議は国内の分裂を促した!?
諸侯が支配する領地のことを 領邦 (りょうほう)といいます。ルター派の諸侯たちは、領邦内に存在する教会を支配できるようになりました。これを 領邦教会制 とよびます。
キリスト教世界のトップである ローマ教皇 ではなく 各地の諸侯たちが教会を支配するようになった のです。領邦教会制が成立したことで、諸侯は領内において政治・宗教ともに権力を握ることになりました。そして諸侯の力が増した結果、ドイツ国内の分権化が進むことになったのです。
ポイントの2つ目は、「ドイツ宗教改革の終結」です。
様々な混乱を招いたドイツ宗教改革もついに終わりを迎えます。カトリック派とルター派の対立は、どのような結末を見たのでしょうか?今回は宗教改革の帰結と、それが後のドイツに与えた影響について学習します。