5分でわかる!イギリスの宗教改革にはウラがある!?
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この動画の要点まとめ
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ドイツやスイスと同じく、イギリスでも宗教改革が起こりました。しかし、イギリスの宗教改革は他の2国とは少し事情が異なります。ある 複雑な事情 があったのです。いったいどういうことでしょうか?
イギリス宗教改革は国王が主導!
イギリス宗教改革を始めたのは 国王ヘンリ8世 でした。そう、 国王が主導した 宗教改革なのです。ドイツでは ルター 、スイスでは カルヴァン といった一般市民が中心となって改革を進めましたよね。
イギリス宗教改革は、国王が進めたからこそ 国王にとって都合の良いもの になっていきます。具体的に見ていきましょう。
ヘンリ8世、離婚問題をめぐってカトリックと対立!
ヘンリ8世はもともとカトリック教会の味方で、ルターらが進めた宗教改革には反対の立場をとっていました。しかし、彼は 王妃カザリンとの離婚問題 をめぐってローマ教皇と対立したのです。
ヘンリ8世は王妃と離婚しようとしたのですが、時の教皇がこれを拒否しました。当時、カトリックでは離婚が認められていなかったのです。ヘンリ8世は教皇と対立し、カトリックから離れていきました。
カトリックを離れたヘンリ8世は 独自の教会制度 をつくりました。1534年に 国王至上法 を発布し、 イギリス国教会 を設立したのです。
イギリス国教会は国王をトップとする教会です。カトリックと対立したヘンリ8世は、ローマ教会から独立した、自らを首長とする教会制度を作り上げたのです。
国王至上法に基づき、ヘンリ8世はカトリックの修道院を解散させます。さらに土地を没収し、市民に安く売りつけたのです。こうしてヘンリ8世は、カトリックをおさえつけるとともに、国民からの人望を集めることにも成功しました。冒頭でお話したように、イギリス宗教改革は 国王の力を強めるために行われた のです。
エドワード6世、一般祈祷書を制定
この後、ヘンリ8世の子供が3人登場します。1人目が エドワード6世 です。
1549年、エドワード6世は 一般祈祷書 を制定します。この法律により、イギリス国教会の教義や制度が整備されました。
順調に整備されていくかに見えたイギリス国教会ですが、この後 ある問題 が起こりました。
メアリ1世、カトリックを強制して新教徒を弾圧!
1553年、エドワード6世の妹 メアリ1世 が王位につきました。彼女は翌年、スペイン皇太子 フェリペ と結婚します。
ところが、ここで一つ問題がありました。 スペインはカトリックが優勢な国なのです。 メアリ1世は イギリス国民にもカトリックを強制し、国教会を弾圧しました。
幸か不幸か、メアリ1世はわずか5年あまりの在位を経て病死してしまいました。国教会は弾圧されたものの、壊滅状態に追い込まれたわけではありません。次の国王の時代に、再び勢いを増すことになります。
国教会が再興、国王が宗教を支配!
1558年には エリザベス1世 が即位します。彼女は 統一法 を制定し、国教会の礼拝や祈祷の基準を統一しました。統一法の制定により、イギリス国教会の体制が確立することになったのです。
先ほども説明しましたが、国教会の頂点にはイギリス国王がいます。これは 国王が宗教を完全に統制した ことを意味します。ローマ教皇の権威が完全に排除され、国王の力が高まったのです。
以上、イギリス宗教改革について説明しました。 国王が自分の力を強めるために改革を行った ことをおさえておきましょう。
ポイントの2つ目は、「イギリスの宗教改革」です。
ポイント1では スイス の宗教改革を扱いました。今度は イギリス です。