5分でわかる!フランスで起きた宗教戦争は根が深い!
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この動画の要点まとめ
ポイント
ポイントの1つ目は、「フランスの宗教戦争」です。
16世紀のフランスでは、キリスト教の宗派をめぐって宗教戦争が起こりました。戦争はなぜ起こったのかでしょうか?そしてどういう結末を迎えたのでしょうか?
ユグノーとカトリックの対立
1562年、フランスで始まった宗教戦争を ユグノー戦争 といいます。この「ユグノー」という言葉、 スイス宗教改革 のところで勉強したのを覚えていますか?そう、ユグノーは フランス国内のカルヴァン派 を指す呼び方です。
16世紀のフランスでは徐々にユグノーが増えていきました。しかし、大多数を占めるのは依然 カトリック 教徒です。ユグノー戦争は、カルヴァン派の新教徒ユグノーと、旧教徒(カトリック)との間で起こった戦争なのです。
宗教上の対立に、政治上の利害も絡み合う…
ユグノー戦争が始まったときのフランス国王を シャルル9世 といいます。彼の母親である カトリーヌ=ド=メディシス は、摂政として政治をサポートしていました。
ユグノー戦争は、ユグノーとカルヴァン派の対立に加え、有力貴族の王権をめぐる 政治闘争 がからんだ戦争でした。
サン=バルテルミの虐殺
ユグノー戦争の最中の1572年に、とても悲しい出来事が起こりました。 サン=バルテルミの虐殺 と呼ばれる事件です。
シャルル9世の妹と、新教徒ブルボン家の アンリ という人物が結婚し、そのお祝いに新教徒(ユグノー)がパリにあつまったのですが、なんと彼らの多くが 旧教徒(カトリック)によって殺害されてしまった のです。
新教徒であるアンリが国王の妹と結婚すると聞いて、新教徒たちは喜びました。フランスにおけるユグノーの地位が高まるのではないかと考えたのです。ところが、彼らを待ち受けていたのは旧教徒による虐殺でした。
虐殺はフランス全土に広がり、新旧両派の対立はより深まっていきました。
ついに新教徒が認められる!ナントの王令により戦争が終結
ユグノー戦争の最中、ヴァロワ家の国王が暗殺される事件が起こりました。新しい国王となったのは ブルボン家のアンリ でした。先ほど紹介した シャルル9世の妹と結婚した アンリと同一人物です。
彼は アンリ4世 として即位すると、1598年に ナントの王令 を出します。新教徒ユグノーに対し 条件つきではあるものの、信仰の自由を保障したのです。
ナントの王令により、新教徒は旧教徒とほぼ同等の権利を持つことになりました。こうしてユグノー戦争は終結したのです。
以上がフランスにおける宗教戦争、ユグノー戦争の流れです。新旧教徒の対立が国内の貴族を巻き込み、大きな内乱につながったことをおさえておきましょう。
宗教改革の5回目。
今回は「フランス・ドイツの宗教戦争」について学習します。