5分でわかる!ルイ14世の対外戦争!
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この動画の要点まとめ
ポイント
「自然国境説」を根拠に侵略戦争をスタート!
ルイ14世は 自然国境説 という考え方を支持していました。 国と国との境界は、山脈や川など自然の地形をもとに決めるべきだ という考えです。こちらを見てください。
ルイ14世は次のように考えました。
スペインとの国境は ピレネー山脈 、
イギリスとの国境は ドーバー海峡 、
南東の国境は アルプス山脈 。
そして東側の国境は ライン川 だと。
つまり フランスとライン川との間にある領土を全て支配しようとしたのです。
彼は1667年に 南ネーデルラント継承戦争 を起こし、南ネーデルラントを獲得しようとしました。また、この戦争で敵対したオランダとの間で オランダ戦争 を起こすと、さらに ファルツ戦争 と呼ばれる侵略戦争も始めたのです。
スペイン継承戦争の始まり
このように、ルイ14世は領土拡大のため 3つの侵略戦争 を行いました。しかし戦争はまだ終わりではありませんでした。1701年には スペイン継承戦争 を起こしたのです。
フランスの隣国スペインにおいて、代々王を務めていた ハプスブルク家 が途絶えてしまいました。そこで、ルイ14世は自分の孫 フィリップ にスペイン王位を継承させようとしたのです。
ルイ14世の奥さんは スペイン王家の血を引いていました。 ルイ14世は、孫フィリップを フェリペ5世 として即位させ、スペイン=ブルボン朝を創設しました。
ルイ14世のふるまいに周囲の国々は当然反発しました。こうして1701年に スペイン継承戦争 が始まったのです。フランスは、イギリス・オランダ・神聖ローマ皇帝などと衝突しました。
ユトレヒト条約の締結
スペイン継承戦争は、1713年に ユトレヒト条約 が結ばれたことで終結しました。この条約で、ルイ14世の孫 フェリペ5世の即位が承認されました。 ただし フランスとスペインの合併は永久に禁止 とされました。
ルイ14世は孫をスペイン王とすることで スペインの領土を実質的に支配しようとしていました。 しかしユトレヒト条約でスペインとの合併が禁止され、彼の思惑通りにはならなかったのです。
こうして、莫大な資金と時間をつぎ込んだにも関わらず フランスの領土拡大は失敗に終わってしまいました。
以上、4つの対外侵略戦争を紹介しました。これらの戦争によってフランスの財政は急速に悪化し、絶対王政は衰退に向かっていくこととなります。
ポイントの2つ目は「ルイ14世の対外戦争」です。
ポイント1に引き続き ルイ14世 に注目します。ポイント2では彼の時代に行われた 4つの戦争 を紹介します。