5分でわかる!三十年戦争でオーストリアは得をした!?
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この動画の要点まとめ
ポイント
ポイントの1つ目は「三十年戦争後のオーストリア」です。宗教改革の授業で紹介した 三十年戦争 を覚えていますか?1618年にドイツで起きた大規模な 宗教戦争 です。
三十年戦争はオーストリアに大きな影響を与えました。まず、三十年戦争の内容を簡単におさらいしましょう。
三十年戦争の始まりと終わり
三十年戦争の発端となったのは、1618年の ベーメン反乱 です。カトリック信仰の強制に反発するベーメンの新教徒が起こした反乱でした。
この反乱は神聖ローマ帝国全体を巻き込んだ戦争に発展し、さらにデンマークやスウェーデンなど諸外国が介入してくる事態となりました。
三十年戦争は1648年に結ばれた ウェストファリア条約 を持って終結しました。条約の規定に伴い 神聖ローマ帝国は解体され、いくつもの領邦に分かれることになりました。 領邦とは諸侯が治める領土を指します。
神聖ローマ帝国の解体で、オーストリアは得をした!?
中世以降、 神聖ローマ皇帝 の地位は ハプスブルク家 が継承していました。加えてハプスブルク家は オーストリア皇帝 の地位も兼ねていました。つまり オーストリア皇帝=神聖ローマ皇帝 という状態だったのです。
だからこそ、神聖ローマ帝国の解体はオーストリアに有利に働きました。神聖ローマが解体されたことで、 皇帝はオーストリアの政治に専念できるようになったのです。 ここからオーストリアは勢いを増し、全盛期を迎えることになりました。
オスマン帝国との抗争
17世紀後半、オーストリアは オスマン帝国 と戦いました。1683年、オスマン帝国が 第2次ウィーン包囲 を行ったのですが、オーストリアはこれを見事に撃退しました。
1699年にはオスマン帝国と カルロヴィッツ条約 を結び、オーストリアは ハンガリー などの東欧諸地域を獲得しました。
オーストリアはこの後もさらに発展を続けました。次のポイントでは、オーストリアの発展に貢献した 偉大なる女帝 を紹介します。
東欧絶対王政の1回目。
今回は「オーストリア絶対王政」について学習します。